【Limted*time(期間限定)】・3




2ヶ月が過ぎた。あの日から、俺達は時々手を繋ぐようになった。
手を繋ぐといっても、部室から駐輪所までのほんの短い距離で、それも俺が一方的に掴んでいるといった方が正しいのかも知れない。繋いでいる間の三橋は、相変わらず何も喋らない。
そして今日も、俺達はそんな風に手を繋いで―――解かれた。


少し錆び付いた金属音がして、自転車のスタンドが倒れる。
いつもより練習が早めに終わったのは、顧問の志賀の都合だったが、たまにはこんな日も必要だ。それでも部の中で俺達が一番遅い事には変わりない―――別段その事を嫌だとは思わなかったが。

「今日はどうする?」

どうする、と言ってもコンビニか本屋、足を伸ばして駅前のスポーツ用品店に寄るくらいしかないけれど、俺はとりあえず聞いてみた。

「お、オレ・・・今日は・・・」
「都合、悪かったか?」

鍵を外し終えたばかりの三橋は、振り返って緩く首を振る。

「・・・特に用事無いけど。阿部くんは、何処か行きたい、の?」
「いや、俺も特別行きたいとこは無いけど――」

言いかけた所で、ふと今使っているバッティンググローブが大分草臥(くたび)れていることを思い出した。ついでに三橋の分を見繕うのも良いかもしれない。コイツは投手だから、打撃の練習に重点をおいている訳ではないけれど、それでも、少しでも合う物を選ぶのが道理だ。
駅前の店の名前を告げると、三橋は一も二もなく頷いた。

「夕飯にはちゃんと間に合うように時間調整すっから」

少し飛ばせば、そんなに時間をくう事もないだろう。勿論、急ぎすぎて怪我でもしたら本末転倒だから、その辺りはきちんと釘を刺しておく。

「ふらふら余所見ばっかすんなよ」
「うん。大丈夫だ、よ」

――また、その顔かよ・・・。

大丈夫と答える三橋は、また例の表情をしていた。この顔をされると、嬉しいのか悲しいのか、コイツが何を考えているのか、俺には全く分からなくなる。
わざわざ追求するのも苛立たしくて、肩にかけていた鞄をわざと乱暴な手つきで自転車のカゴに放り込んだ。そのままサドルに跨ると、三橋も少し遅れてハンドルを握る。

「・・・行くぞ」

返事を待たないでペダルを踏む。振り向けばあの表情を見る気がして、どうしてもその気にはなれなかった。






店に着くと、それなりに遅い時間ながら、閉店までまだ少し時間があった。バッティンググローブだけを探すなら充分な時間だ。俺は以前に自分が使っていた物と、同系列のメーカーの商品を並べて比較する。最初に選んだのは黒を基調にしたデザインで、シンプルだけど使い易そうだ。試しに、右手にそれを嵌めながら周囲を見回すと、いつの間にか傍らに三橋の姿が無い。

「おい、三橋。ちょっと、こっち来い」

背の低い棚を一列挟んで、ふわふわした頭が移動しているのが見える。呼びかけると、声に答えるように、ふわふわは一番手近な通路を俺の方に向かって来た。

「お前、自分の分もちゃんと見てんのか?」
「あ、う、うん・・・」

曖昧な返事と視線があちこち飛ぶのは、いかにも心ここにあらずといった感じなのだが、三橋の場合はこれがデフォルトだから仕方ない。重ねて同じ事を尋ねても、様子は変わらなかった。

「俺は、これ買うけど。お前はどうすんの?」

物悲しげな曲調が店内に流れ始めたのを機に、俺は試着していた手袋を買う事に決めた。三橋の手元には何も無い。

「あ、えっと・・・」

僅かに躊躇った後―――三橋は小さな声で「阿部くんのと同じで良い」と呟いた。

「はぁ?お前それじゃ駄目だろ。真面目に自分に合うヤツ探せよ」
「オレ、・・・オレは、阿部くんと一緒の、が良いんだ!」

思わず戸惑ってしまうくらい強い口調だった。
何、むきになってんだよ。という言葉が、喉のすぐ手前まで出かかったが飲み込んだ。俺の事を真っ直ぐに見据える瞳から、視線をそらせない。むしろ気圧された、というのが一番近い気がする。

「・・・これにする、から」

何も言えない俺の前で、三橋は言葉通りに黒いバッティンググローブを一つ取り上げると、レジへと向かって行く。



「ちっ・・・おい!おい、三橋っ!」

肩に手をかけると、鳶色の双眸はゆっくりと振り返った。淡い光に射られて、無意識に唾をごくりと飲み込んだ。三橋の白い手は黒い手袋を固く握りしめている。

「――別に、それでも構わないけど。せめて試着くらいして、確かめてから買えよ」
「・・・うん」

今度はこくりと頷いたので、俺は三橋が持っていたグローブを取り上げると、リストバンドを弛めて手渡した。

「ちゃんと奥まで指入れて、手首んとこも締めてから動かしてみろよ」

言われた通りに手を動かすのを確認してから、俺も頷いた。思ったよりもぴったりと合っているみたいだ。ふうっ、と息を吐く気配がして、手袋と俺の顔の間を視線が往復する。淡色の瞳が柔らかな光に満たされた。


「よ・・・かった・・・」


コイツも何か不安だったのだろうか。少し口の端を弛めて手元を見つめる表情に、先程の張り詰めた様子は何処にも見えない。
手袋を嵌めた上を、もう片方の手が愛おしそうに辿る。
その仕草を見ていると、安堵よりも訳の判らない苛立ちが俺の中で募った。


早くしろ、と急き立てないですんだのは、ひとえに店員が、閉店の時刻を告げる為に俺達に声を掛けたからだった。




「阿部くん、今日は、ありが・・・とう」

揃いの紙袋をぶら下げて店を出ると、三橋に礼を言われた。

「何が?」
「バッティンググローブ・・・買えた、し・・・」
「ああ、でもあれはお前が選んだんだろ。試着の時は具合良かったみたいだけど、使い始めて変な感じしたら、すぐに止めろよ」

告げた言葉に嘘は無かった。投手の指先の感覚は、常人が考えるより遙かに繊細なものだから、何が切っ掛けで調子を狂わすか分からない。だが、実際そんな理論はただの建前で、選んだ理由の方が俺の中ではわだかまりになっている。
我ながらしつこいというか、粘着質というか。

購入してしまった後では今更文句の言いようも無いが、先程とはうって代わって満足気な顔をしている三橋の表情を見ても、気持ちはたいして晴れなかった。
コイツは、どういうつもりで同じ物を欲しがったのか。それが単純に『恋心』というものがなせる技だとしても、俺には理解出来ない―――女でもあるまいし。
そうかといって、三橋が別の物に選び変えていたら自分はどうしていただろう。落胆でもするのだろうか?


「―――嘘だろ・・・」


だが、馬鹿馬鹿しい、と鼻先で笑うつもりだったのに、浮かんだ想像があまりにも生々しくて愕然とした。口先であれ程けちを付けたのに、揃いの物を持つ事は当然のように受け入れている、自分の神経が信じられない。

毒された―――何を持って毒なのか分かりもしないのに、そんな言葉がふいに浮かんだ。


「阿部くん、どうしたん、だ?」

自分の自転車を目の前にして、気づけば鍵を出す事もせず呆然と立ちつくしていた。三橋が不思議そうに首を傾げるのを見て、慌ててポケットに手を突っ込んで中を探る。小さな鍵は絶対にそこにあるはずなのに、いつまでたっても指先に触らなかった。

「くっそ・・・!」

もどかしさと苛立たしさが絡まって、だが、鍵は遅々として見つからない。腹立ち紛れに乱暴な仕草で手を引き抜くと、乾いた音がして鈍く光る欠片が足下に転がり落ちた。

「あ、お、落ちた・・・よ」

落ちたそれが捜し物だと判断する前に、三橋が手を伸ばす。拾い上げられた欠片は、しろい手の上でぽつりとした輝きを放っている。はい、と差し出されても咄嗟に受け取る事が出来なかった。
淡色の睫毛が伏せられて、頬の辺りに薄い影が落ちる。

「いや、ありがと。助かった・・・」
「うん。・・・どういたしまして」

瞬間、泣いているか、との予想を覆して三橋の瞳は濡れてはいなかった。ぎこちない手つきで鍵を受け取ると、短い謝礼を伝える。間をおかずに返された言葉から、コイツの感情は読み取れなかった。

―――いや「読み取れなかった」というのは、単なる言い訳だ。

声に沈んだ微かな湿り気や、指先が僅かに触れた時瞬かれた睫毛。そんな些細な動きから、自分は三橋の感情を推し量る事が出来るのに。
敢えて目を反らそうとしたのは、誰の為だったのだろう。
自己の保身を必要とする位に結構な身分でも無いクセに、俺は目の前の事実と向き合おうとしなかった。
(そして、その事が後になって、どんなにか大きな後悔を呼ぶかなんて思ってもみなかった。)



少しは和らいだはずの三橋の表情が、またひどく強張っている。互いの家に向かう帰路は、店に向かう前よりも遙かに重い雰囲気に付きまとわれていた。だが、会話らしい会話も無く連れ立って行く道よりも、岐路で別れを告げる瞬間に見せた不自然な笑みの方が俺の気に障った。

「じゃあ、また、明日」
「ああ、明日。朝練遅刻すんなよ」

軽く手を挙げると、薄っぺらな笑みが三橋の顔に貼り付いた。それきり視線を合わせないで向けられる細い背中に手が伸びる。少し頼りなく思える程の狭い肩。バランスを崩した身体は、俺の方にもたれ掛かるようにして止まった。

「阿部くん?」
「お前・・・なんだよ・・・?」
「え、な、何、何って?」

突然の詰問に、こればかりは本当に驚いた様子で鳶色の瞳が丸くなる。下がり気味の眉の下で、不安そうに揺れている光が苛立ちを煽った。



「なんだよ、その作りモンみたいな笑いは!言いたい事あるならはっきり言えよ!」




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