【Don't cry baby】・6






「・・・・・・」

「・・・・・・」

「はぁ!?」

完全に予想外の事を言われると、人はかなり間抜けな表情になるものらしい。普段の阿部はお世辞にもにこやかなタイプでは無いけれど、今のこの顔だってかなりめずらしい部類だろう。軽く半開きになった口と、少し垂れた目が丸く見開かれる様はなかなかに見物だった。しかし、唖然といった顔の阿部の表情がいつも以上の険悪さを増したその瞬間、新たなバクダンが投下された。

「うん、阿部って実はイイヤツだよね」

口は悪いけど。とにこやかに付け足す栄口に、阿部の眼がぎらりと光る。

「・・・さかえぐち・・・・・・」

阿部の顔が妙に赤く見えるのは、アルコールの所為だけでないのは言わずもがなの事である。彼だって人の子だから苦手な物の一つくらいはある。なかでも、こんな風にからかわれるのは阿部にとって最も苦手な事だったが、如何せん今回の相手は栄口。

「ね、花井だってそう思うだろ?」

―――何故、どうして、そこで笑える栄口!?

その秘訣かコツをちょっとで良いから分けて欲しい。どこまでが本気で、どこまでが冗談か全く判らないのが怖いけど。そして頼むから、俺に同意を求めないでくれ!ああ、でも俺が言ったせいなのか!?。と5分前の自分を心の中で罵倒している花井に、阿部の頭がゆっくりと向けられる。その動きに効果音が付けられるのなら、金属の軋む様な音がぴったりだ。

「花井もか・・・?」

―――だから、阿部も!なんで、俺の方を向くんだよ!!

そのゆっくりとした動きが、何だっけか。古いホラー映画の・・・あれだ、あれ!悪魔が女の子に取り憑いて首が180度回転しちゃうヤツ、にちょっと似てるかも。と思ってしまったのはここだけの話。
言い出しっぺは確かに自分なのだが、これだけテンションの上がった阿部の相手は花井としても未体験。はっきり言ってご遠慮させて頂きたい。
例え阿部が“実はとってもイイヤツ”だったとしても、今だけは、今だけは本当に勘弁願いたい。(言い訳をさせてもらえるなら、自分の思う『イイヤツ』と栄口の思う『イイヤツ』は、完全に別人なのだと自信をもって断言できる。)

だがそんな花井の心の事情は、不機嫌絶好調の阿部に全く関係ないらしい。向けられた顔の中で、引き結ばれていた口角が奇妙な角度に持ち上げられる。これを敢えて分類するならば「笑顔」の範疇に入るのかもしれないが、阿部の内面がそれと程遠い事は、考えたくもなかった。



―――俺、今日、家の布団で寝られるのかな・・・。



昼の学食、合コンと来て一日の締めがこれなのか、と些か絶望的な気分で花井が覚悟を決めかけた時。


「うえええぇええっ」

突然背後から聞こえた声に、阿部の剣呑な視線が花井から外された。

―――あ、あっぶねぇ!!

阿部に気を取られていた間に、なんとか復活した水谷がよろよろと近づいてきていたらしい。しかし完全復活には時期尚早だったのか、再び並木に向かってえづき始めていた。頼みの綱の栄口まで阿部をいじるのに夢中になってたのは、さすがに、ちょっと気の毒だ。

「おい、水谷!!大丈夫かよ!」
「う、うん。も、だいじおぶ・・・うっ」
声をかけると、弱々しい笑顔を浮かべて答えてくるが、その顔色は紙のように白い。
「置いてけ、そんなクソ!!」
「えー、またそんな事言ってさ」
「・・うう。クソって・・・ヒドイ・・・」
苛立つ阿部に「心にも無いこと言っちゃだめだよ。」めっ、と子供にでも言い聞かせるように栄口が阿部を諫める。諫められた阿部の顔は・・・怖い、はっきり言って怖すぎる!

―――だーかーらー!栄口もこれ以上、阿部を刺激しないでくれよ!!(花井梓心の叫び)


「・・・・・・おい、お前ら俺の事おちょくってんのか」

案の定、先程頂点に達したかとかと思われた阿部の不機嫌が更に悪化する。唸るような低い声が花井の背筋を震わせた。だが、そんな花井の事などお構いなしに栄口は満面の笑みを振りまいている。
「なぁに、阿部?」
「さ、栄口・・・・・・」
「なぁに、花井?」

しかし阿部とは対照的過ぎる程上機嫌なその顔に、花井はふと違和感を覚えた。

―――ひょっとしなくて栄口、結構酔っぱらってるんじゃねぇか!?

何故、今までその可能性に気がつかなかったのだろうか。あまりにもその笑顔が常と変わらなかったばっかりに、花井も思いっきり失念してしまっていた。栄口だってそれなりに飲んでいたのだ。酒に弱いと聞いた事はなかったが、強いと聞いた・・・・・・事も無い。

「あ、阿部っ、栄口のヤツ酔ってるみたいだか、ら・・・」

とりあえず必死のフォローを試みたものの、阿部から返ってきた答えは、肩すかしを食う位にあっさりとしていた。

「・・・勝手にしやがれ。俺はもう帰るからな」
「・・・・・・は?」
どうやら阿部は怒るのも馬鹿らしいという結論に達したらしい。論理的思考の得意な阿部らしい答えだが、花井はこの時ほどそれに感謝した事はなかった。それを裏付けるように、こちらに背を向けた阿部からは先程までの様な怒りは感じられない。

「えー、阿部もう帰るの?」
「うわ!栄口はもう黙っててくれ!」
「・・・・・・」
「水谷と栄口の事は俺が面倒見るから、な、阿部は・・・」
「じゃあ、花井に頼んどくわ」
振り返らないまま軽く手を挙げると、阿部はそのまま立ち去って行く。その背中を見ながら、栄口の口を塞ぐ手をそのままに花井は道端にへたりこんだ。

「でも、どうすりゃいいんだよ俺・・・・・・」

安堵の溜め息を漏らしたものの、腕の中でもふもふと暴れる陽気な酔っぱらい栄口。背中には青白い顔で縋り付いてくる撃沈寸前の酔っぱらい水谷。酔っぱらいを二人抱え込んで、花井はやっぱり己の性格を見つめ直そうと固く心に誓ったのであった。



【阿部隆也、そして三橋廉】



―――これだから、こんな飲み会参加したくなかったんだ・・・。
怒りを通り越して呆れ、何しろ疲れ果てて俺は一路我が家を目指していた。日付が変わろうかというこの時間、街に溢れるのは水谷や栄口の御同類だ。ついでに花井みたいなヤツもいて、こんな風に世の中は上手くバランスがとれている事を教えてくれる。
こういうのをなんて言うんだっけ、『持ちつ持たれつ』だっけか?国語は得意じゃなかったから正直、正確な意味は良く判んねぇけど。

道端に転がるサラリーマンの残骸を避けて、大通りから一本奥の路地に入る。人気は少ないが、ここが駅まで一番近道なのは知っていた。街灯が少なくて暗いけど人が少ないっていうのは酔っぱらいも少ないって事で、むしろ快適、足取りも軽い。この調子だと終電前に余裕で駅に着けるな、と

「おっと、と・・・・・・」
案の定、暗くて良く見えなかったのだが何かが足にぶつかった。
どこかの店が裏口に積んでいたケースが崩れて、道一杯に広がっているみたいだ。俺はあやうく躓きかけて寸での所で踏み止まる。
「危ねぇな、ったく!誰だよこんな事したヤツは!」
微かに残ったアルコールの勢いに任せて、一番近くにあったケースを蹴り飛ばす。
がこん!


(『うひっ!』)


と、思ったより軽い音をたてて転がった先から・・・

―――なんだ今?なんか声聞こえた気イすんだけど?



「あれ、ひょっとして・・・、そこ誰かいんの?」









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ここまで長かった・・・。