【Don't cry baby】・5


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【三橋廉・叶修吾】



「廉、今日は卒業試験だからな。気を抜くなよ」
修吾の真剣な眼差しに、廉もこくりと頷いた。いつもだったら軽口の一つは飛ばす修吾が唇を引き結んだままなのが、廉に今回の重要性をひしひしと感じさせる。震えそうになる拳を握りしめ瞳に決意を込めた。
「お、オレ・・・がんば、るよ」
「ああ・・・、説明は覚えているか?」
「う・・・うん」
廉の答えを心許ないと思ったのか、修吾は一旦仕舞った地図を再びテーブルの上に広げた。赤いペンで細かく書き込みのされたそれは、どこかの建物の見取り図だ。
「ここに銃を隠してある。店に入ったらまずこれを確認しろ」
「・・・は、い」
「それが終わったら、的はこっちだ。SSも2人はついているから無理はするな。本人だけ狙え」
修吾が指した先には、赤い丸印が付けられている。的の『顔』は覚えたか、と問われて脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。これだけは何があっても間違える訳にはいかない。写真は昨日飽きるほど見返してから焼き捨てた。これも廉が今まで教わった事の一つだ。

「・・・・・・う、うん」
「じゃあ、最後は脱出経路だな。ここを通って裏口から出ろ。俺と織田が車を回しておくから」
「あ、・・・し、修ちゃんが来てくれるの?」

緊張で強張っていた廉の顔に、僅かだが赤みが差した。大きな鳶色の瞳に期待にも似た感情が揺れている。その眼に映る己の顔を修吾は一瞬だけ見つめたが、すぐにそらしてしまった。
いつもと違う自分の態度に廉は気づいてしまっただろうか?
後悔とともに視線を戻すと、そこにはいつもと変わらぬ信頼を籠めた廉の瞳。唇から細く息を漏らし、修吾は廉より自分の方が覚悟を決めていなかった事を実感した。結局、今の修吾に出来る事は廉が上手くやり通せる事を祈る事だけなのだ。

「うん、俺が待っててやるから安心しろ。打ち合わせ通りやれば大丈夫、廉ならきっと出来る」

「・・・・・・うん」

気を抜けば俯きそうになる顔を必死で持ち上げて、廉は笑っていた。
その笑顔があまりに痛々しくて、修吾は正面から向き合う事が出来なかったのに。

「ほら、もう時間が無いから、ゆっくり休んでおけよ」

自分の迷いをごまかすように修吾は地図を畳み、確認作業の終わりを告げる。それは同時に、仕事の始まりを告げる言葉でもあった。

「は・・・い」


微かな音を立ててドアが閉まる。
部屋を出て行く後ろ姿さえ最後まで見つめる事が出来ない自分に、修吾は今日になって何回目になるかも判らない溜め息をついた。

「廉・・・。ごめんな」

今回の仕事が無事に終わっても、自分は廉に裏切ったと思われるかもしれない。その事がこんなにも辛いなんて。

―――絶対に戻って来いよ・・・、廉・・・。

ただ、彼が無事に仕事を終えるのを祈るしか出来ない歯痒さに、修悟は足下に落ちた指令書を蹴り上げた。




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【花井梓・阿部隆也・水谷文貴・栄口勇人〜花井梓、己の性格について考える】
 

「おーい、水谷。大丈夫かぁ?」
「そんなクソは置いてけ、栄口」
「・・・うう、やっぱり阿部はヒドイ・・・、うっ」
軒先に並べられたビールケースの脇に、水谷はもう15分もしゃがみ込んでいた。面倒見の良い栄口が慣れた手つきでその背中をさすっている。“吐くくらいなら最初っから飲むんじゃねぇよ!”と怒鳴り散らした阿部の剣幕に怯えて、さっきまで一緒に飲んでいた女の子達は逃げ出すように帰ってしまった。

―――結局こうなんのかよ・・・。

さっきまでのホワホワした気持ちはどこへやら、花井はげんなりと溜め息をつく。

今日集まった女の子達はそれなりにみんな可愛らしくて、花井も(心の中でだが)水谷に喝采を送っていた。日頃、散々阿部に“クソ”呼ばわりされている水谷だがやるときはやる性格らしい。店の中ではそれなりに盛り上がって良い感じだったのに、最後の最後が締まらないのは水谷らしいというのかもしれないけど。

―――だいたい阿部だって、女の子の前であんな風に怒鳴る必要は無かったよな・・・・・・。

もっとも、その事で一番損害を受けているのは、実は阿部本人なのかもしれないが。何故ならば、今でこそ怯えて逃げてしまったけど、飲んでいる間は女子の視線は明らかに阿部の上に集中していた。あのままの雰囲気でいけば、お持ち帰りだって簡単だったろう。だからといって、阿部は浮かれていた訳でもない。只、ひたすらに黙って酒を飲んでいただけである。

―――そういえばクラスでも誰か言ってたなぁ。『阿部くんはクールでカッコイイ!』って。俺に言わせれば、無愛想で無関心で、おまけに超短気なんだけど。まぁ、ぶっきらぼうだけど案外面倒見は良いし、顔も良いから騒がれるのも判らなくはないが。俺が女だったら・・・

「・・・・・と絶対ぇ付きあわねぇな」

「ふーん、お前と誰が付きあわねぇんだって?」

適度なアルコールのせいもあってか、心のなかの呟きが現実世界に飛び出していたらしい。この時ほど花井は、無意識が危険な物である事を、身を持って実感した事はなかった。

「うっわ、あ、阿部!!」
「何、大げさに驚いてんだよ」
「い、いや何でもねぇよ。それよか水谷はどうしたんだ?」
散々文句を言いながらも、店を出るまで水谷に肩を貸してやっていたのは阿部だった。(ちなみに花井は水谷の荷物と阿部の荷物、もちろん栄口と自分の分も抱えていた。)それでもいい加減しびれを切らしたのだろうか、後の面倒は栄口に任せる事にしたらしい。

「栄口が見てるから大丈夫だろ」
「大丈夫だろ、って・・・。まぁ、水谷も仕方ないけどなぁ・・・」
「クソに付き合う義理は無いからな」

―――・・・そんな事言って、結局は付き合ってやるくせに。

うっかり口に出しそうになった言葉を、花井はとりあえず飲み込んでおいた。少しは水谷の立場ってものも考えてやればいいのに、と思いつつも腹の底から阿部の事を怒れない理由も判っている。

―――そうだよ。実際、お前はそういうヤツなんだ。あんなに邪険に扱っているように見える水谷の事だって、本当の意味で突き放したりはしない。表面上仲良く見えても、何を考えてるか判らないヤツらに比べれば、阿部は正直だしずっと誠実だ。

いかにも不機嫌そうな顔で通りに溢れる喧噪を眺めている阿部の横顔を見ながら、花井は自然にこみ上げてくる笑いを抑えきれなくなっていた。自分も相当アルコールが回っているらしい。水谷の事を言えないな、と呟くと阿部が怪訝そうな面持ちで振り返って聞いてくる。

「なんか言ったか?」
「いや・・・」
若干言い淀んだのは、ちょっとした悪戯を思いついたからだ。

「いや、阿部っていいヤツだな。って言ったんだよ」





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