【Don't cry baby】・4


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場所を学食に移して、水谷の話を聞く事になった。
部外者だからと席を外そうとした花井に、水谷は必死で縋り付いてくる。どうやら花井にも無関係な話では無かったらしくて、渋々ながらも花井は同席する事を了承した。
本音を言わせてもらえば、一刻も早くこの場から去りたかったのだが、そこはやはり“お人好し”の名も伊達ではない。途中参加の栄口は何を考えているか判らないが、そんな様子をにこにこと眺めていた。


【花井 梓(学食にて)】



食券を先に引き替えた水谷と栄口が並んで座ったので、必然的に花井は阿倍の隣に座っている。しかも窓際最奥の席なので、中座する事は事実的に不可能。そのため半ば諦めの境地に自分を追い込んで、花井はかけそばを啜る事にした。
「いっただきまーす」
ぱちん、と綺麗に割り箸が割れると気持ちが良い。花井に続いて栄口も手を合わせてから、食事に箸を付けるのが見えた。
―――お、栄口。今日はナポリタンなんだ。
麺が少し柔らかいけど、具がたっぷり使われたナポリタンは学食の定番メニュー。ちょっと地味だけど、小技のきいた2番バッターってとこだろう。ちなみに粉チーズをたっぷりかけて食べるのがお勧めの食べ方だ。
で、主賓の阿部はといえば、話を切り出すタイミングを必死で伺っている水谷に全くと言って良いほど頓着せず、すでにトレイの上の食事に手を付けていた。(ちなみに阿部が選んだのは学食でも人気のB定食だ。ラーメンと丼。おかずが一品、おしんこも付くサービス満点充実のメニューである。)

「えっと・・・阿部」
「その@、今週の数学のレポートが終わらない。そのA、隣のクラスの男にストーキングされている。そのB、女。どれだ?」
水谷が本題に入るより早く、阿部が淀みのない口調で一息に話しを纏め上げた。ついでに、ぴっ、と箸を向けた拍子にB定のラーメンの汁が飛んで水谷のシャツに小さな染みを作る。

―――あー、今日のB定醤油ラーメンだったからその染み落ちにくいぞ。

と、男子学生としては少々家庭的な事を花井は考える。これは現実逃避だ、と自分でも良く判っているが止める気にはなれない。ぼんやりと外に視線をやりながらつゆを味わう振りをする間にも、テーブルの上の会話はどんどん流れていった。

「水谷って男にストーキングされてたの?」
「あ、ちょっと・・・。まぁ、それはもう解消したんだけどね」

―――さらっと、さらっというなそんな事を!!勘弁してくれよ・・・、こっちの頭が痛くなる・・・。

「ふーん。良かったね」

―――確かにそれは良かったけど、全く動じないでその笑みは凄すぎるぜ栄口・・・。

それを聞いて、『じゃあ、今度は女か』と阿部先生が曰った。それをどう受取ったのか、フォークに巻き付けたナポリタンをそのままに栄口の瞳が広がった。

「え、水谷って女の子にもストーキングされてるの?」
「えええ!?違う違うよ、栄口!!」
水谷が誤解だ!と叫んだ拍子に、スプーンの上から中華丼のグリンピースがころりと落ちた。どうやら水谷はグリンピースが嫌いな類では無いらしい。くだらない事を考えて気を散らそうとする花井だが、現実は全くもって容赦がなかった。ああ、なんだか眼の辺りが妙にしみるのは、薬味に添えられた葱のせいだろうか?

「女っていうよか、あれはゴリラだろ」
「阿部っ!!でたらめ言うなよ!!」
「でも、ストーキングされているのは本当なんだ・・・」
「だから、栄口も違うって!」

―――だから、どうしてそっちに食い付くんだ・・・。っていうよりも、男より女にストーキングされる方を驚くってどういう事だよ!!普通は男より、女の方がマシだって考えるんじゃないのか!?

食券を買った時に『あっさりとしたもんが喰いたいなぁ。』と選んだかけそばが、今日は何故だか胃にもたれて仕方ない。そういや、“そば”は消化悪かったんだっけか。と、成長期(終わりかけかもしれないけど)の男子にあるまじき事を花井が考えて、思わず『ううん』と唸ったところに、向かいに座っている栄口が『花井、はい。』と和やかにお茶を回してくれた。
栄口のこういう気遣いは女子並だと思うのだが、それがこの空気の中で発揮出来るのはやっぱり謎でしかない。

「女の子は、女の子なんだけど〜」
「なんだよ、そんな気持ちの悪い言葉遣いすんな。さっさと用件言え」
「まあ、まあ、阿部も落ち着いて」
「・・・ちっ」

―――阿部の容赦の無い突っ込みが炸裂。水谷にHP50のダメージ。
―――栄口のフォローが発動、水谷のHP30回復。

会話を続ける3人をなるべく眼に入れないようにして(この際、耳を塞ぐ事はあきらめる事にした。会話に加わらないですんでいるだけ行幸なのだ)花井は暖かいお茶をゆっくりと含んだ。口中に広がる風味をしみじみ味わいながら目を閉じる。

―――やっぱり、食事の〆は温かいお茶だよな・・・。

今日の花井の諦観は、ここに来て一つの悟りを開こうとしていた。これで、後は耳に流れ込む会話を認識拒否する能力に目覚めれば完璧だ。まぁ、その域に達する事は“お人好し”の花井には未来永劫無理なのかもしれないが。

「今度ね、クラスの女子に頼まれて〜」

―――水谷の相談事が選択@であって欲しかった・・・。それだったら話もすぐに終わったのにな・・・。

やはり悟りを開くのは無理だったらしい花井は、無意識に心の中で会話に加わっている己に気づいてはいない。

「なんだよ?頼まれたからどうだって言うんだ?」
「ほら、阿部!そこで話をぶち切らない!」
「あ、ありがとう!栄口!!」
「礼はいいからさっさと言え!」

いい加減、阿部の眉間にある皺が深くなり始めた頃、水谷はやっと本題に入る事が出来た。

「クラスの女子が、今度合コンしようって言うんだ」
「は?」
「ああ、そうなんだ。で水谷は何を頼まれたの?」

ここまでくれば花井にも、水谷が何を頼まれたかが言われずとも判る気がした。阿部の考えも同様だろう。今日一番の深さの皺がそれを物語っている。栄口は何を思っているか知らないが、相変わらず穏やかに笑っていた。


「御願いだから、みんな金曜日の合コンに参加して!!」






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水谷の必死の頼みが通じたというよりも、栄口の絶妙なフォローが効を奏して憮然としながらも阿部は頷いた。阿部が承諾すれば後は早い。暇だからという理由で栄口も承諾。花井の意見は聞かれなかったが頭数には入っているようだ。花井にしてみても昼食の間ずっと己の意見なんて無いも同然の扱いを受けていたわけなのだから、この空間から脱出できる喜びで、今だったら何を言われてもオール・オッケー、何でも来い。心は限りなく海よりも空よりも広くなっていた。

(阿部に言わせれば、花井もこういう点においては学習能力も低いって事らしい)




一部の人間にとって悪夢のような昼食の時間が終わると、午後の授業の無い花井と栄口は2人で駅までの帰路を歩いていた。
他愛の無い会話を交わしながら、花井はふと足を止めると改まった口調で栄口に話しかける。
「そうだ、今日はありがとうな栄口」
「ん、なんで花井がお礼なんていうの?」
「いや、お前が声をかけてくれなかったらさ、水谷も俺もきっと大変な事になってたからな」
「ふーん。そうだったんだ」
「そうだった?お前、何も考えないで声をかけたのか?」
「考えてない訳じゃあなかったけど」
今、声をかけたら阿部が嫌がりそうかな、とは思ったよ。にっこりと言い放たれて花井は固まった。あの穏やかな笑顔をべりりと剥がせば、その下にあるのは無限の闇だ。ああ、現実ってモンはこんなにも自分の想像を超えている・・・。

「・・・栄口。ひょっとして阿部の事嫌いなのか?」
恐る恐る尋ねたのは、恐怖を好奇心が凌駕したからだ。それが出来たのは、栄口の笑顔があまりに自然だったためもあるのだが。だが、そうして戻ってきた答えは、またまた花井の常識を軽く吹き飛ばしてくれた。

「え、嫌い?別にそんな事は無いよ。」



単に面白いかな、と思っただけだから。







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