【Don't cry baby】・29




* 注 作中では晩夏だと思って下さい。本当はそれ位の季節にupするつもりだったんです〜。



ドアを開けると、この時期にあるまじきむわぁっ、とした熱気が顔を打った。
「おい・・・なんだ、これ?」
俺の眉間に刻まれた皺の深さは、すでに今期最高を更新しそうな勢いだ。
「あ、阿部!来たきた」
早くあがってと主人面で手招きするのは、取り皿と覚しき紙皿を運んでいた栄口だ。おい、ここは三橋の部屋じゃないのかよ。内心の不満を押し隠し、言われるままに部屋の奥に足を進めると、そこには小さな円卓を囲んで俺以外の全員が顔を揃えていた。
「お、ちょうど良かったな。今できたとこなんだぜ」
「美味そうっ!」
いてっ!声がしたのは、花井が菜箸で田島の手を叩いたからだ。目の前の皿にはキツネ色に揚がった唐揚げが山盛りになっている。大方、これをつまみ食いでもしようとしたんだろう。行儀が悪いだろ、と田島を諫める花井の後ろ姿には、最早、母親の貫禄が漂っていた。
「阿部の席はここだよ〜」
入り口正面の席には水谷が座っている。隣はちょうど一人分空席で次ぎが三橋。三橋の隣には花井の背中があって、田島と続いているから、水谷と田島の間には栄口が座るとみた。
「・・・・・・」
とりあえず言われたとおりに指定された席に座る。三橋がおどおどした目を向けるのは俺の眉間を見たか、醸し出される不穏な雰囲気を察したんだろう。座ったまま一言も口をきかない俺に、おずおずとグラスが差し出される。
「あ、あべくん。お、お茶でも・・・」
透明なグラスの中で琥珀色の液体が微かに震えている。
―――なにやってんだ、俺・・・。
三橋を怯えさせてどうするっていうんだ。どうせコイツには何の罪もないんだから。自分の苛立ちをぶつけるなんてどうかしてる。意識して眉間の皺を緩めると、漸く三橋の表情も和らいだものになった。
それに内心ほっとするのも束の間、俺の立場としては、まずこの事態の原因を追及しなければならない。
「おい・・・」
三橋以外に聞かせるのなら、これ位低い声でちょうど良い。水谷の身体が、一瞬固まった後、じりじりと隣から離れようとする。
「おい、お前等なんでこの時期に・・・」
「な、何かな?」
何かを問われたら答えずにはおれない所は、水谷の美点だと認めてやってもいい。例えそれがどんなに及び腰だったとしても。話を円滑に進めるのには必要だ。

「鍋、なんかやってんだよっ!!」

―――しかもキムチ鍋なんかやりやがって!!

そうなのだ。残暑厳しい真っ昼間、この部屋に満ちているのは、かなりの量の水蒸気と強烈な酸味を帯びたなんとも言えない匂い。
男6人でひしめき合って囲む円卓の上には、卓上コンロと季節はずれの土鍋が一つ。大ざるの中には野菜が山と盛られていて、後は豆腐に豚肉、イカに蝦にと。なかなか豪勢なのは間違いないのだが―――それにしたって、何故、この時期に鍋。それも『キムチ鍋』を選択する?

「・・・おい、それで言い出しっぺは何奴だ?」
「お、お、お、俺じゃないってばっ!」
水谷の横で栄口が頷いている。ちっ・・・、じゃあ水谷じゃないのは本当らしいな。
「じゃあ、田島か?」
考えてみれば、コイツが一番こういう事を言い出しそうな気がする。
「オレ、違うよー」
たいして焦った風もなく田島は答えた。コイツにしれっと嘘をつくなんて芸当が出来る訳もないので。そうか、田島でもないのか・・・。
「ちっ・・・・・・」
「おい、阿部・・・」
「じゃあ、花井か?」
「・・・そこで、なんで俺になるんだよ・・・」
がっくりと肩を落とした花井だが、この面子の中で馬鹿丁寧にエプロンまで付けて采配を振るってるんだ、疑いたくもなるだろう。
「違うのか?」
「違う!違うっ!!」
そうなると、残る一人は栄口か・・・。だが、俺の知る栄口の性格なら、こんな馬鹿騒ぎを企画するはずはない。でも、聞くだけ聞いてみるか・・・。と栄口に視線を向けると、ヤツはこの状況で何がおかしいのか、にこにこと笑ってやがる。
―――畜生、やっぱり元凶はコイツだったのか!?
とんだ回り道をさせられたもんだ。震える拳をちゃぶ台に叩き付けようとした、ちょうどその時。

「あ、あの・・・」
「ほら、阿部」
隣、隣。と指さされて隣を見れば、三橋がおずおずと細い手を挙げていた。

「はぁ?なんだよ。なんで手なんか挙げてんだ?」

「お、オレなんだ・・・、オレがみんなで鍋がしたいって言ったから・・・」
だから、水谷君も栄口君も田島くんも花井くんも、みんな協力してくれたんだ。

「・・・・・・は?」

なんだ、そりゃ?

そうして呆気にとられた俺に、三橋は辿々しい説明をする羽目になった。まぁ、その時の話を要約するとこういう事だ。

いつの話だかは知らないが(とりあえず俺がいなかった時)、三橋と此奴らの会話の中で、何をどうなったか鍋の話が出たらしい。そういや、最近やけにマメにメール打ってると思っていたら、その打ち合わせだった、とのこと。流石にコイツのプライベートだから(そこまでチェックしたら只の変態だ)、と突っ込みをいれなかった己の謙虚さを、この時ばかり後悔した事はないのは当然だろう。

「で、三橋が鍋食った事無いっていうから、みんなでやろうぜ。って話になってさ」
―――これは水谷(何、へらへらしてんだよ)。

「せっかくだから、阿部も誘おうかって話になったんだけど。迷惑だった?」
―――これは栄口(その笑顔はなんだ?)。

「ちょうど、田島も練習が休みだったから。開いている日は今日くらいだったし」
―――これは花井(お前が止めなくて、誰が止めるんだ!)。

「鍋やるからには、やっぱりキムチだよな!いっぱい買ってきたんだぜ!!」
―――最後は田島(・・・だから、なんでキムチなんだよ!!)。

そうやって急遽決まった計画に従って、集まった面子(俺を除く)は買い出しに行き、材料を揃え。鍋だけは季節柄か入手出来なかったので、田島の家の物を借りてきたらしい。まぁ、確かに田島の家で使っている鍋なら、食べ盛りの男6人でもなんとか賄える大きさだろう。そしてそれら全部を三橋の家に持ち込んで、いよいよ鍋を始めよう。という事になったらしい。
しかも今夜の鍋奉行は、すでに花井で決定済み。
「はぁ・・・」
俺にしても、そこまで事情が判ってしまえば、苛立ちも失せるというか、苛立つだけ無駄といおうか。第一、此方の様子を伺いながらも、時折期待に満ちた目で鍋を見つめる三橋の姿を見てしまえば、否定的な言葉など続けられない。
諦めた様に目の前の皿に手を伸ばすと、妙に嬉しそうな顔でこっちを見つめる栄口と目があった。いや、栄口だけじゃない。水谷も、花井も、田島ですら何か面白がっている様な気さえする。
「おい・・・」
―――お前等、ひょっとして三橋の名前だせば、俺が大人しくなると思ってんじゃねぇのか!?
眉間の皺を再生しようとする俺の顔を、阿部くん。と呼びかける声がして振り向けば、三橋が不安げな表情で凝と見つめている。
「ちっ・・・・・・しょうがねぇな・・・」
それに気がついて、なんとか皺を緩めると努力をしていたところ。

「あ、あの・・・あべくん・・・」
「・・・・・・なんだよ」

何か言いづらそうに淀んだ後、三橋は決死の表情で口を開いた。

「き、キムチ嫌い、だった?」

「・・・・・・は?」

―――キムチが嫌い?いつ、誰が、そんな事言った!?(ちなみにキムチは、そんなに好きではないけれど、嫌いでもない。)

「・・・・・・ぷっ」
「ちょ、栄口っ!」
「阿部って辛いもん大丈夫だよな?」
「・・・田島・・・」

だが、呆気にとられた俺の間抜け面に、耐えきれなくなった栄口が吹き出した。咎める水谷の目にも涙。田島は相変わらずピントがずれていて、花井も処置無しとばかりに諸手を挙げている。
「あ、阿部くん。こ、これ辛く、ない、よ」
口を開けっ放しの沈黙をどう受け取ったのか、三橋が小皿に取り分けた唐揚げを勧めてくる。その様子を見た栄口が更に笑い転げる。水谷も腹を抱えて、花井までもが生温かい笑みを浮かべていた。(田島だけは、相変わらず良く判っていない様で三橋とは別に唐揚げをむさぼり食っている。)

「―――おい・・・」

我慢限界。忍耐限界。俺の中で、何かが音を立てて切れようとしていた。

「あ、べくん?」
「こんの、ボケっ!俺の話聞いてんのかよっ!!いくら辛くたってキムチぐらい喰えんだよっ!!」
「ひゃあああっ!ご、ごめ、い、痛いっ!!いたーい!」
毎度のことながら奇妙な悲鳴を上げる三橋のこめかみに、オレの特製ウメボシが炸裂した。

―――よくよく考えてみれば、このなんだか居たたまれない状況の原因は三橋(こいつ)じゃねぇか!?コイツが鍋食いたいとか言い出さなければ、誰も鍋なんかしなかったんだよな!!

この際、誰が三橋に鍋の話を振ったかは、あえて考えない事にした。(とりあえず今はそんな余裕無いし、まぁ、後でこれが水谷なんかだった日には目に物みせてやるけどな!)
ひとしきり拳でぐりぐりやると、オレの気分も段々と落ち着いてくる。ふっと肩の力を抜くと、こめかみを挟む力が弛んだせいか三橋の悲鳴も殆ど聞こえなくなった。

静まりかえった部屋の中に、鍋の煮えるふつふつという音だけが響いている。



「じゃあ、食うか」
「え・・・・・・」
なんか、急に怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
用意された割り箸を割って、さっき差し出された唐揚げを口に運ぶ。途端に呪縛が解けたかのように、他の奴らの手も動き出した。(正しくいうならば、田島だけは食ってたから関係ないけれど)出来合いの総菜は、少しばかり塩辛かったけど、こんなもんだろう。
「鍋の方も蓋取るぞ」
蒸気が熱いから、顔近づけるなよな。と言いながら花井が鍋の蓋を取ると、白い湯気とともに美味そうな匂いが部屋に立ちこめた。
「すごい!」
「美味そう!」
「う、美味そうっ!!」
「す・・・す、ごいね!!」
みんなの歓声を一身に浴びて、花井は少々面はゆそうに笑っている。が、その後の動きは実に素早かった。
「田島!その豆腐煮えてるから早くとれ!」
「あー、その肉はまだだからっ!水谷は隣のエノキでも食ってってくれ!」
「栄口は、そこの白菜な」
「三橋も海老はちゃんと殻剥いてから食えよ」
細かく且つ的確な指示を飛ばしながら、花井が鍋の中身を取り分けてゆく。深く考えずに伸ばした手の甲が、実に良い音をたてて叩かれた。
「おい・・・」
俺になんの恨みがあるっていうんだ?不機嫌の塊のような俺の顔を見ても、今日の花井は怯まなかった。

「阿部、その肉はまだ、だ・・・」

「お、おう・・・」

生まれて初めて、花井に気圧された・・・。

こいつも、自分の好きな時にその迫力を出せるのなら、あんな苦労はしないだろうと思うくらいに、それはなかなかのものだった。思わず押し黙る俺の皿に、ほどよく煮えた椎茸が載せられる。

「それでも食って、待っててくれ」

「・・・・・・判った」

もそもそと椎茸を囓る俺の隣で、三橋が「美味しい、ね」と言って笑っている。

「ああ、美味いな」
熱いけど。熱くて辛くて、汗だくだけど。
こんな風に三橋が笑っていられるなら、それだけで全部許せるような気がしてきた。そんな自分を何と呼べばいいのか、分かっている気はしたが考えるのはやめておく。そんなヤツは、今目の前で鍋を取り分けている坊主頭だけで充分だ。
「ほら、冷めるぞ」
「う、うん!」
小難しい事なんて放っておけばいい。早く喰わないと、冷めるどころか自分の取り分まで無くなりそうだ。なんて事を悠長に考えていたら



「あ、あちっ・・・!」



思い切り頬張った豆腐が熱すぎて涙目になったのを、思い切り楽しそうに笑われてしまった。











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