【Don't cry baby】・27










「何をどうしたら、こんな事になるんだよ・・・」


今日は厄日か?大厄か?正月の賽銭をけちったツケがこれなのか?思わず半年以上前の事まで思い返してしまう俺に、
「なぁ、阿部・・・そんなに隠したかったのか?」
諭すような口調で花井が尋ねてくる。
「え、あ?」
「いや、そんなにへこむ程『三橋』ってヤツの事、俺達に内緒にしたかったのかと思って・・・」
「いや・・・別に・・・」
落ち込んでいたつもりはなかったが、確かに花井の言う事にも一理あった―――自分の動揺している理由が分からなかったが―――ので、俺は思わず頭を抱えた。


「・・・・・・わっかんね・・・」
「阿部・・・」
「本当に、わかんねぇんだよ・・・」


三橋みたいに面倒くさいやつの世話なんて自分の手に余る、と思っていたはずなのに、いざ他のヤツと楽しそうにしている姿を見ると腹の底が落ち着かない。
苛立ちばかりが目立つこの感情をなんと呼べばいいか、花井は知っているみたいだったが、俺には知りたいとも思えなかった。単に、目を背けていただけなのかもしれないが―――


「あ、あの・・・」


そんな風に悶々と考え始めた俺が顔を上げたのは、今まさに、心で思い描いていたヤツの声が頭の上から降ってきたからだ。


「あ、ああ。三橋?」
「阿部くん、もう大丈夫か、と思って・・・」


とぷん、と水の鳴る音がして三橋の手元で無色の液体が揺れていた。


「それ・・・、どうしたんだ?」
「あ、えっと。これ、水」
「ああ、水、っていうのは見れば分かるんだけど・・・」
「これハナイくん、のだから持っていって良いって、タジマくんがくれたんだ!!」


花井の私物を田島からもらう不自然さを、こいつはちっとも感じていないらしい。だが「タジマくんって、イイ人、だ!」と真っ赤に頬を染めるのを見ると、その事実を指摘するのもつくづく虚しくなってしまう。


「・・・ああ、そうか。花井、悪いけどこれ、もらうからな・・・」


とりあえず、自分だけは持ち主に筋を通しておこうと声を掛けると、花井は生温い笑顔そのままにこくりと頷いた。


「阿部、それ好きなだけ飲んでいいからな・・・遠慮なんてするな」
「なぁ、―――その笑顔で、ありがたみも半減なんだけど」
「え、あ、阿部!?そんな事言わずに、どんどん飲め、心ゆくまで飲んでくれ!」
「・・・お前なぁ。気持ち悪いのに、そんなに飲めるか!!」


怒鳴った拍子に、軽い音をたててペットの蓋が飛んでゆく。なんでだ。と突っ込む暇もなく、こぷりと零れた水が足下に小さな水溜まりになり、跳ねた分がついでとばかり俺のスニーカーにも染みを作った。




「あ、阿部くん・・・」




心配そうに見つめる三橋から顔を背けるようにしてボトルを煽る。喉に流れ込んだ水は、何故だか少しほろ苦かった。















【三橋廉+阿部隆也】














阿部くんが帰ろうと言い出した時、太陽は強い西日の最後の一欠片をオレの手に放り込んだ。端の方からゆっくりと藍色を帯びてゆく空を見上げて、阿部くんは立ち上がる。


「三橋。俺達は、もうかえっぞ」
「あ、う、うん」


体調が戻ったのか、阿部くんは差し出したオレの手に気づかないように先へと歩いていった。オレも遅れないように小走りでその背中を追いかけてから、ふと気がついた事があって足を止めた。帰る前にみんなに挨拶をしておこうと思ったからだ。
タジマくん、ハナイくん(と妹さん達)、ミズタニくんとサカエグチくん。みんな阿部くんの友達で初対面のオレにも親切だったから、せめて一言でも今日のお礼を言いたかった。


「みんな、き、今日は、ありがとう」
「えー、ミハシ、もう帰るのかよ。今からライトアップされて綺麗になるのに」
「ら、らいとあっぷ?」


おう。と笑うタジマくんの後ろで、言葉通り遊具に取り付けられた白い、赤い、青い光りが瞬き始めた。くるくると回りながら輝くそれと、昼間と変わらない楽しげな音楽に、オレは、今が何時だか分からなくなる。


「す・・・ごい」


でも、思わず見とれて立ち止まった首の後ろを、ぐ、と引っ張られた。一瞬、息が詰まりかけて咳き込むと、少し苛ついた。でも気遣わしげな表情を浮かべた阿部くんが覗き込んできた。


「わり、強くやりすぎたか?」
「だ、大丈夫だ、よ」
「阿部、ミハシに乱暴してんなよ!」
「お前にゃ関係ねぇよ!」


タジマくんが、オレと阿部くんの間に割って入ってくる。途端、阿部くんの顔が一層苛立ったものになった。おろおろするオレが思わず視線を廻らすと、側にいたハナイくんが小声で、
『心配しなくても大丈夫だから。あいつらいつもあんな感じ』
と、教えてくれる。
『いつも・・・?』
『二人とも言葉はきついけど、別に本気で喧嘩してるわけじゃないから』


―――そう言われたら、そうなのかもしれない。


実際、阿部くんとタジマくんは激しく言い合ってるけど、本気で憎み合っている風には見えない。そのうえ、二人の間には一種独特のリズムみたいなものが流れていて、それがまた決して嫌な雰囲気な物ではなかったから―――


「いいなぁ・・・」
「へ?」
「オレ、あんな風に言い合える『友達』いない、から・・・」
「そ、そっか・・・」


本当に羨ましくて呟くと、ハナイくんの眉が少し下がった。その表情に、困らせてしまったかな、と心配になる。


「ハナイくん、ご、ごめ・・・」
「まぁ、思い切り言い合えるのも、善し悪しはあるけどね」
「おい、水谷」
「俺は、阿部もミハシのことすごく気に入ってると思うよ」
「そうか、な・・・」


するっと会話に混じってきた水谷くんが、にっこり笑ってオレの事を指さした。


「そうだよ。俺、阿部がこんなに他人の面倒見てるの初めて見たもん」
「そうだよな。あの阿部が、って俺達みんな驚いたくらいだから」
「三橋もそんな気にしなくて大丈夫、大丈夫」


同意するようにハナイくんとサカエグチくんも頷いた。そう言われるとげんきんなもので、オレのお腹の底の方もほこほこと暖かくなってくる。


「そう、なんだ・・・」


自然と口元まで弛んできてしまって慌てて抑えると、ミズタニくんやハナイくん、サカエグチくん、全員で小さく吹き出すのを見てしまった。


「阿部、愛されてるなぁ」
「タジマと喧嘩なんかしてる場合じゃないのにな」
「そうそう、タイミング悪いよね」


何がそこまでおもしろいのかオレには全く分からなかったけど、みんなが笑っているのだから悪い気はしない。寧ろ、オレまで仲間に入れてもらえたみたいで、ひどく嬉しかった。


「ふ、ひっ、ひ・・・」


それどころか、嬉しすぎて顔中に力が入らない。油断するとだらしなく弛みきった頬が落ちるような気がして、思わず両手で押さえてしまった。


「ミハシ・・・お前、くっ」
「あ、なに?何やってんの?」


みんな益々笑ったけど、でも仕方がない。本当にこうしなきゃ嬉しすぎて怖い位だったんだ。相変わらず阿部くんとタジマくんは言い争っていたけれど、オレ達は笑っていた。今日初めて会ったのが信じられない雰囲気、それはすごく自然で当たり前の事みたいにオレを包んでくれる。




そうやってそれくらい和やかな時間が過ぎたのか(たぶん、そんなに長い時間でないけれど)、ハナイくんが少し心配そうな表情を浮かべて、もう帰る時間なんだよな。と聞いてくれた。話している間にも、周囲の灯りは益々華やかなものになっている。それに心を惹かれない、といえば嘘になるけれど、オレはそれよりも阿部くんと一緒にいたかったから頷いた。遊園地は楽しい。でも、今のこの気持ちを―――少し歩いただけで、オレの中から溢れて零れ落ちそうなこの気持ちを、一刻も早く、早く阿部くんに伝えたかったから、


「お、オレ、帰る、よ!」


阿部くんにも、タジマくんにも聞こえるようにはっきりと返事をした。次の瞬間、言い争っていた二人が同じタイミングで此方を見る。


「あ・・・えっと、か、帰りま、す・・・」


その視線の強さにたじろいで、思わず小声になってしまうけれど、オレの方を振り返って、
「ミハシも、自分の自由にやれよ。」
そう言ったタジマくんの顔は、驚くほど真剣だった。


「じ、ゆう・・・?」


「そうだよ。命令したりされたりなんて、友達なのにおかしいじゃん」
「ともだち・・・」


無意識に呟いた言葉は、オレの中にゆっくりと染み渡っていく。いつの間にか阿部くんも、黙って凝とオレの顔を見ていた。




「お、オレ・・・嫌じゃない、よ!」




ゆっくり、大きく、頭を振った。阿部くんは、オレに命令したわけじゃない。慣れない場所で無理をしていないか、心配してくれてただけなんだ。阿部くんとオレは『友達』だから―――タジマくんの言葉が、後押ししてくれる。


「大丈夫、だ」
「じゃ、いいや。ミハシがいいんなら、問題ねぇよ」


あっさりと、そう言ったタジマくんの顔には、さっきまでの何かを見通すような鋭さはない。彼は、にかっ、とオレに向けて笑うと、向きを変えて阿部くんにちょっと頭を下げた。


「阿部、悪かったな」
「いや、別に・・・」


阿部くんの口調が、どことなく気の抜けたみたいにぼんやりしている。珍しいな、と思って首を傾げていると、ハナイくんがタジマくん肩を軽く叩くのが見えた。


「ほらタジマ、お前まだ乗りたいのあるんだろ」
「あ、あるある!オレさっきのもう一回乗りたい!」
「え、また乗るの?」


戸惑ったようなミズタニくんの声を合図に、駆けだしたタジマくんの背中をみんなが追いかけていく。名残を惜しむ、というにはあまりにも早くその後ろ姿は小さくなって、賑やかな光と人混みの中へ、瞬く間に消えていった。
後に残されたのは、阿部くんとオレの二人だけ。


「あいつら・・・」
「行っちゃった・・・」


見送ってしまったオレ達の耳に、行き交う人のざわめきだけが残る。阿部くんが、まだ乗りたかったら、乗ってもいいんだけど。と小さな声で呟いたのが聞こえたけど、オレはまたはっきりと首を横に振った。


「帰るか・・・」
「うん」


今度はこくりと頷いて、オレ達は並んで歩き出す。












楽しげな音楽や華やかな照明にも、もう後ろ髪を惹かれる事はなかった。













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