【Don't cry baby】・26








そういえば――水谷が側にいたんだっけ――と俺は思った。あいつこの前、チケット何枚も持ってたよな・・・。男一人でこんな場所に来る訳も無いよな(俺だってそうだ)。でも、あいつの事だから、一緒に来る相手って限られてるよな(たぶん)。
そして、この流れから導き出される答えは、おのずと決まっていた。と、いうか、この脳天気な声とお人好しの声にも、ばっちりと聞き覚えがある。(飛び出そうとするヤツと不用意な発言をするヤツを、必死で押さえ込んでいるのは毎度の事ながらご苦労様としか言いようがない。)


「おい・・・」
「は、はいっ!」
「―――お前に言ったんじゃない、三橋。後ろの奴等に言ったんだ」


声に込められた不穏な雰囲気に、三橋はびくりと震えると思い切り硬直している。だから、お前に言ったわけじゃないから。人の話ちゃんと聞けよ。と繰り返すと、強張っていた顔が、漸くふにゃりとほどけた。その様子を確認してから、ゆっくりと身体の向きを変える。

俺が腰掛けているベンチから、ほんの数メートル。

それ程大きくない庭木の茂みに、多人数が隠れられる訳がない。なんか見覚えのある頭とか、ちょっと草臥れたスニーカーのつま先だとか。その内の一人に至っては、さっき思い切り目の前にいたのだから、今更隠れた所でどうするつもりなんだ?


「おい・・・出てこいよ・・・」


―――それとも引きずり出されたいのか?

唸るように告げると、転がりださんばかりの勢いで、人影が3つ飛び出してきた。田島と花井と水谷と、それからゆっくりとした足取りが一人分。

―――栄口までいるのかよ・・・。

正確に言うならば、栄口の後ろには更に小さい人影が二つある。

「その子達・・・」

どっかで見覚えはあるんだけど、なんでこいつら小学生なんて連れて歩いてるんだ?

「この子達は花井の妹さんだよ」
「ああ・・・そういえば・・・」

心の声がそのまんま顔に出ていたらしい。栄口が苦笑しながら紹介してくれる。言われてみればこの前晩飯をご馳走になった時、顔合わせたっけか。

「まあ、いいや。花井の妹っていうのは分かった」

この際、そんな細かな箇所は問題ではない。花井が妹と一緒に何処に行こうが、それは花井の自由だ。でも花井の他に、水谷と田島と栄口まで一緒・・・も、とりあえず目をつぶろう。問題はそこでもない。

「え・・・、な、なんか問題あるの、かな?」

何気ない風を装って口にしてるけど、その実、水谷の腰は思いっきり引けていた。なんだよ、準備いいじゃん。答える前から逃げる用意かよ。

「お前は、何かまずい事でもしたのか?」
「い、いや・・・き、記憶にございません・・・」

俺としては最大限に穏やかな口調で尋ねてみたが、返ってきたのはこれ以上ない位に引きつった水谷の顔。分かってるなら、やるんじゃねーよ!喉元から飛び出しそうな言葉を抑えられたのは、最近、三橋のおかげで堪忍袋の緒が若干伸びた所為だろう。

「じゃあさ―――」

絶対に答えろよ。分からないとか、偶然とか、つまらない答えを返すなよ。と無言の圧力をかけながら、俺は最終尋問に入った。

「なんで、お前達、ここにいるわけ?いや、正しく言うなら、なんで俺達の後ついてきてるわけ?今更“ついてきてません、よー”なんて下手な誤魔化したら承知しないんだけど」

一気にあらゆる方向の退路を断たれて、水谷の顔が、ざ、と音をたてそうな勢いで青くなる。

「え、え・・・と。あ、あの・・・」

明かに動揺しまくった視線が、必死で花井や栄口の方に向けられた。この場合、田島が含まれていない事は驚くに値しない。タイミングの悪さと、場の雰囲気を読めない事にかけてはすこぶるつきの水谷も、こういう時に頼れる相手は分かっているのだ。

「偶然だよ」
「偶然、は認めないって言っただろ」
「それでも偶然なんだから、仕方ないよね」

小憎らしいばかりの口調で、まずは栄口が助け船を出した。だが、ほんのりと口元に浮かんだ笑みだとか、実に穏やかそうに見える目元の表情に騙されてはいけない。

「・・・栄口。ひょっとして、お前が言い出したのかよ」

順当に考えればそんな事はありえないのだが、とりあえず反応を引き出す意味でも聞いてみる。そして案の定、栄口はあっさり「自分ではない」と言い放った。

「俺が合流したのは今さっきだからね。その時にはとっくに阿部の事見つけてたよ」
「ほー、そうか。そうですか」

それならば、やはり水谷か田島辺りが最初なんだろうな。どっちが言いやがったんだ、と視線に込めて睨み付ける、と、二人と俺の間を遮るようにして割り込んできたヤツがいた。




「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「・・・・・・花井?」

予想外の介入に、俺も少々毒気が抜けた声を出してしまう。いや、お人好しなのは分かっていたが、何もここまでしなくても―――流石に、ここまで我が身を呈して地雷を撤去するタイプだとは思っていなかった。人が良いのもここまでくると、ゲンミツに天然記念物にでも指定した方がいいかもしれない。

「あ、阿部・・・あのな・・・」

―――非常に歯切れの悪い口調なのは予想の範疇。

「花井、お前が言い出した訳じゃないんだろ。それくらい分かってからわざわざ―――」
「わ、悪い!阿部っ!!お、俺がっ」
「・・・俺が・・・?」

まさか、という字が頭の中を駆け回る。信じてたのに裏切られた、つーか、花井から謝られたという事は俺的には結構衝撃だったらしい。うわあ、自分がこんなに他人の事を信頼していただなんて思ってもみなかった。相変わらず顔色の悪い花井を目の前にして、負けず劣らず頭が痛い。

「い、いや・・・でも、なんで、花井が・・・」
「それは・・・な、正確に言うと、な」

俯き加減の坊主頭の向こうで、ぴょこぴょこと揺れる影が二つ―――ああ、そういえば花井の妹って双子なんだっけ。家族からみれば区別もつくかもしれないが、正直言って俺が見る限り同じ顔に見える。


「妹なんだ・・・」


「ああ、はぁ、妹・・・って?どういう事だよ、それ?」
「阿部の後つけてたの、俺の妹なんだ・・・」
「はぁ!?」

なんで俺が花井の妹なんかに、後つけられなきゃなんねーんだ。はっきり言って、意味がわかんね。憮然を通り越して呆然とする俺に、花井は口の端を奇妙な形に歪めて説明を始めた。


そして―――それは、かなり本気で呆気にとられていた俺を、更にのノーリアクションにさせる答えだった。




「いや、俺の妹達さ、・・・あのな、あのな」
「・・・なんだよ」
「あの、な。その、だな。」
「・・・なんだよ、気持ち悪いから早く言えよ!!」

「俺の妹達―――お前のファンなんだって、さ・・・」

言い終わると同時に、どっと疲れが増したのか、花井の頭は座り込んだ膝の間深くうまってしまう。いや、俺だって出来るならそうしたい。かろうじてそれをしないで済んでいるのは、そんな事をしたところでどうにもならないと分かっているからだ。

「はぁ・・・そうですか」

この場合、一応礼を述べた方が良いかと思って「ありがとうございます」と言えば、花井の双眸は、実に胡乱な視線を此方に投げかける。

「阿部・・・お前、本当に分かってんのかよ・・・」
「たぶん、言葉通りには。それに、なんとなく事情も理解出来た」

しかし、事情が分かってしまった為に、さっきまでの憤りも行き場を無くしてしまう。ああ、とか、くそ、とか花井が呟く声が聞こえたけど、今の俺の投げやりな気分には、はっきり言って到底かなわないし。何とはなしに視線を廻らすと、

「あ・・・いつ!」

視界の隅で、栄口の後ろに隠れていたはずの水谷が「、阿部のファン」という言葉に好奇心丸出しで間抜けな顔を覗かせている。

「くっそ・・・」

腹は立つ。腹はたつけど、ここで水谷を責めるのはいくらなんでも理不尽だと、理性が訴える。そんな理性を蹴散らして怒鳴ってやるなんて―――少しも考えない、わけではないけれど―――流石の俺も諦める事にした。何故ならば―――

「オレ、田島。そんでこっちが―」
「水谷だよん。で隣が」
「栄口です。宜しく」
「んでさ、あそこに座ってんのが花井で、この二人は花井の妹」
「お、同じ顔、だ!」
「うん、そうそう双子だからね」
「お、オレ、三橋っていうん、だ」
「ミハシ?ああ、『三橋』そういう字書くんだ」
「う、うん」

俺と花井が二人して理不尽な何かに黄昏れている間にも、残ったメンバーは和気藹々とした雰囲気を振りまいている。いつの間にか面子に組み込まれた三橋も、最初の途惑いが嘘のみたいに、はにかむような笑顔を周囲に見せていた。

「なんだよ・・・あれ」
「あ?阿部、何がそんなに気に入らないんだよ・・・」
「だって三橋のヤツ、俺が最初に会った時と随分態度が、違う・・・」

と、言いかけて、俺は思わず口を噤んだ。阿部。と呟いて俺を見る花井の表情が、滅多にない程に生温い笑みをたたえている気がする。


「花井・・・言いたい事があるなら、はっきり言えよ・・・」
「い、いや!別に・・・な、なんでもないからさ。気にしないでくれ、な、阿部!」

うっすらと口の端を歪めたまま、花井の視線が空を彷徨った。



「―――お前・・・その顔見せられて、気にするなっていう方が無理だと思うんだけど・・・さぁ」



気にしないでくれ、を繰り返す花井と、その肩越しに見える実に楽しそうな光景。気がつけば、喉から腹の底までを占有していた悪寒はいつの間にか消えていたけれど、代わりにいいしれない脱力感が俺の全身を襲っていた。










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