【Don't cry baby】・25





【阿部隆也+三橋廉】


奇跡的な事に、三橋は約束の時間ぴったりに現れた。俺が指示した通りに、荷物もちゃんとコンパクトに纏めている。

「お前、ちゃんと寝ただろうな?」
「うんっ、オレちゃんと寝たよ!」
8時に寝て、6時に起きた。と自慢げに胸を張られて俺は思わず吹き出した。そりゃ早く寝ろって言ったのは俺だけど、わざわざ報告するような事かよ。時間通りに来た事をせっかく褒めてやろうと思ったのに、褒めるより先に笑いが止まらない。

「くくっ・・・はは、くっ!」
「阿部くんっ!!」

笑うなんてひどい、と子猫の様に毛を逆立てるのを宥めながら俺は更に笑ってしまった。そして、これがまずかった。

「・・・・・・おい」
「・・・・・・」
「ほら、悪かったって」
「・・・・・・」

思い切りプンむくれた三橋は、なかなか目を合わそうとしない。しかし、これ位の事で怒るなよ。と思いつつも、自分でもちょっと驚いてしまう事に、不思議と面倒くさいとは感じない。

「早く寝て、早く起きて、荷物もちゃんと纏めて、え、エライぞ・・・ぷっ」
「阿部くんっ!」

―――あ、やべ。

だが、ご機嫌斜めなこの子猫をなんとかしようという努力に反して、俺の限界はあっという間だった。我慢できずに再び小さく吹き出すと、三橋の下がり気味の眉が更に角度をつけた八の字に変わる。明るい色をした瞳が潤んできて、正直かなり焦った。

「お、おい!マジでお前は偉い!偉いから!」
「・・・うう」

なんで俺がコイツの機嫌とんなきゃなんねーんだ。とか、これ位で泣きそうになる男(しかも同じ年齢)はどうかと思う。とか、言いたい事は色々あったけど、かろうじて口にはしないで済ませた。そうして、『偉い、偉い』と連呼する俺を、三橋はしばらく不審気な目でじっと見ていたけれど、漸く落ち着く気になったらしい。

「阿部くん、も、もう出発しないと・・・」
「ああ、あ、そうだな!早く行くぞ!」
「は、はいっ!」

まだ少し湿り気を帯びた声だったけど、出発を促す言葉に乗っかって俺は歩き出した。2、3歩遅れて三橋もついてくる。コイツ、歩くのもちょっとトロいんだよな。
仕方がない、と足を動かすスピードを緩めると、三橋はフヒッと奇妙な笑いを浮かべながら俺の隣に並んだ。

「遊園地、楽しみ、だ!」
「お、おう。そりゃ良かった・・・」

泣いた烏が何とやら。さっきまでの泣き顔が嘘みたいな満面の笑み。

「―――本当に、子供(ガキ)みてぇ」
「ふへ?」

思わず呟いた台詞に、阿部くん、何か言った?と丸く見開かれた瞳が向けられる。

「なんでもねーよ」

小さい頭が斜めに傾げられた。納得してるんだか、してないんだか。それでも三橋はそれ以上追求しようとはしなかった―――俺はこっそり安堵の溜め息をついた。





招待客のみの試乗日だからそんなに混んでいないだろう、との予想通り、遊園地はちょうど良いくらいの混み具合だった。
貸し切り状態の空き具合ではないが、こういう施設はあんまり空いていても妙な侘びしさを感じるから、これくらいがいいんだろうな。俺達は、家族連れが楽しそうに喋りながら歩いている脇を抜け、真っ先に話に聞いていた新アトラクションを目指す。そこは園内でも一際人数が集まっていたからすぐに判った。

「すご・・・」
「すごい、ね!」

見上げるような高さから、轟音とともに落ちてくるコースター。歓声というよりは悲鳴に近い叫び声が頭上から降ってきて、俺の喉がごくりと鳴った。いや別に乗れないって訳じゃないんだけど、久しぶりというか、久しぶりだからな!(そういや、前回こういうのに乗ったのがいつだったか思い出せない・・・。)
横目でちらりと三橋を見ると、まるで子供のような無邪気さを全開にさせてこの光景を見上げている。

「・・・お前、こういうの怖く無いわけ?」
「え、あ、う、うんっ。たぶん、大丈夫だ、と思うよ!」
「たぶん大丈夫って、なんなんだよ?」

首を捻る俺に、三橋はきらっきらの目のままで「は、初めて乗るんだ!」と答えやがった。

「はぁ!?初めて?マジで大丈夫だと思ってんのか!?」

こくんと頷くほわほわ頭を見て、俺は思い切り目眩を起こしたような錯覚を覚える。
百歩譲って、今時乗った事が無いのは納得してやろう。だが初心者は、もっと可愛いモンから始めるべきなのではないだろうか。それこそデパートの屋上にあるような動物さんの繋がって回るヤツ。“高低差ゼロの安心設計、3歳からでも乗れますよ”セオリーとして、まずはそこからだろう!?


「大丈夫だ、よ!」


しかし、この頑固者は大丈夫と言って譲らない。結局、甚だ不本意ながら折れたのは俺の方だった。

「乗ってから、降りるって泣くんじゃねーぞ!」
ぐわんぐわん音を立てて、ぐるんぐるん回るコレがコイツのジェットコースター初体験になるわけだ。随分ハードな初体験だけど、本人が望んでいるんだから仕方ない。日頃の泣きっぷりを見ている身としては、降りた後の始末に思いを馳せて些か重すぎる溜め息をつくしかなかった。



□□□



「み、水・・・みずくれ・・・」
「う、うんっ!何か飲み物、買ってくる、ね!」

背中を優しく撫でさすってくれていた手が、ふっと離れて、ぱたぱたという足音と共に三橋の気配が遠ざかる。

「―――くっそ・・・」

目が回る、足下が覚束無い、喉の手前まで迫り上がるモノがある。―――要するに気持ち悪いって事だけど、俺の理性はその事実をなかなか認めたがらなかった。なにせ、この年齢になるまで乗り物に酔った経験はない。遠足のバスの席だって選ばないで座れるし、紙袋とビニール袋を重ねて作らされた例のブツなんか、お世話になるどころか帰りはただのゴミ袋だ。その俺が―――不覚という他はなかった。

「阿部くん、大丈夫、か?」
「あ、ああ・・・」

どうやら戻って来たらしい。ベンチにぐったりと座り込んだ姿勢で、視線だけを向けると、心配のあまりいつも以上に角度のついた八の字眉毛が見える。

――あー、でも笑う気力がねーよ。

いつもだったら大爆笑必死の場面なのだが、生憎無理だ。我ながら情けないと項垂れると、微かな水音が聞こえた。そういや水を頼んでたっけ。しかし、重たい頭をのろのろと上げると、予想外の物が視界に飛び込んできた。

「三橋・・・水・・・って、え・・・おい・・・」

三橋の手に握られたペットボトルには、綺麗な橙色の液体が楽しげに揺れている。

「あ、あの・・・あそこの売店、水売ってなくって・・・」

縮こまった身体から、申し訳ないといった雰囲気は充分に伝わってくる。確かに売ってなかったのはコイツの所為じゃない、不可抗力、だ。でも、な。

「――水の代わりに、オレンジジュースっていうのは、やめてくれ・・・」

せめてお茶、せめて紅茶、百歩揺すってプーアール茶、ルイボスティーでも構わない。だが、今ここで、迫り上がるモノを連想させる柑橘果汁だけは勘弁だ。
一層顔色の悪くなった俺を見て、三橋はおろおろとボトルを握りしめる。ごめんなさい、と呟く声が殆ど泣き声のようで胸が痛い。なんだよ、こんなのただの八つ当たりだろ。ごめんな。謝らなきゃいけないのは俺の方なのに。

「あ・・・べくん・・・、ご、めなさ・・・いっ」

―――ああ、やっぱり泣かせちまった。

俯いた三橋と、俺の足下に不格好な水玉が点々と落ちる。

「お、お前・・・男のクセにこれくらいで泣くなよ・・・」

だが、不器用を通り越して不躾な口は、上手い慰めの言葉など紡げない。案の定、俺の投げつけた言葉に、三橋は更に項垂れた。やばい、まずい、こんなはずじゃなかったのに。頭の中をぐるぐる回る言葉達は、この場では何一つ役に立たない。

「ひっ・・・く、ご、ごめん、ご、めん」
「あ、あの、あのな、み、三橋・・・」

こんな時に、どもんじゃねーよ、俺の口。気持ち悪さよりも、焦燥感が勝った嫌な感じの汗が背中を伝い始めた。うわ、でもやっぱり気持ち悪い。でも絶対何か言わないと、と必死で口を開こうとした時―――――――聞き覚えのある声が降ってきた。


「あー!阿部なに女の子泣かしてんだよ!」


「へ・・・・・・」
「・・・・・・はぁ?」

次の瞬間『呆然』とした表情で、俺と三橋は同時に声の方向を見つめていた。そこにいたのは、俺はよく知っている、三橋は、全く知らない奴等達だ。
「駄目じゃん阿部、女の子には優しくしなくっちゃ!」
わけしり顔の水谷が、さっと手持ちのハンカチを差し出して。対して三橋はと言えば、突然見知らぬヤツから差し出された布きれを、どう扱っていいのか明かに戸惑っている。

「え・・・えと、お、オレ・・・」

どうやら驚きすぎて涙腺の方は機能を停止したらしい。だが、それは水谷も同様だったようだ。

「お、“オレ”って、君『男』なの?」
「うあ、あ・・・はい。オレ、男です」

非常に間抜け極まりない応答が、俺の頭上を飛び交う。

「・・・お前、相変わらず抜けてるな、コイツどう見たって男だろ。それともそっちが趣味かよ」

わざとらしく溜め息をついて言ってやれば、水谷の顔からざ、と血の気が引いた。必死の形相で「違う!違う!濡れ衣だ!」と言い募るのを放っておいて、俺は自分の尻ポケットからハンカチを取り出した。

「ほら三橋。これで顔拭いとけ」
「ふあっ、あ、りがとう!」

早速、手渡した布で、三橋はわたわたと涙の跡を拭き始める。それにしてもコイツが泣く度に、俺のハンカチを貸している気がするのは気の所為だろうか?

「阿部くん、ありがと、う!」

ふひっ、と独特の奇妙な笑い声が聞こえて、顔を拭き終えたらしい事が分かる。返されたハンカチは、また尻の下に突っ込んでおいた。泣くのが一日一回とは限らないから、これだってまた出番がくるかもしれない。

「ちゃんと拭いたか?」
「ちゃんと、拭いた、よ!」

一応、確認というか念を押すように聞いてみると、薄茶色の頭は結構な勢いで縦に振られる。この感じだと、大丈夫そうだ、な―――



『へーっ、意外!阿部もそんな顔す、る・・・って』
『た、田島、黙れ!!余計な事は言うな!!』
『いや、でも、確かに阿部のあんな顔・・・ちょ、キモ・・・』
『だーかーら!水谷も人の話聞けって言ってんだろ!?』





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