【Don't cry baby】・24







「あれ、今日のメンバーはこれで全員か?」
「俺と花井と水谷と、花井の妹!全部で5人?」
「あ、まだ栄口が来るはずなんだけど・・・」
と言いながら、水谷が携帯を取り出してメールの確認を始めた。
「あ、栄口。急にバイトのシフトが入ったから、昼から来るって」
じゃあ、これで全部なんだ。と顔を見合わせた時、水谷の肩越しに、非常に良く知った人物が通り過ぎるのが見えた。
「あ・・・・・・」
思わず声を掛けそうになって、慌てて口を塞ぐ。

―――あ、あっぶねぇ!!つい、いつものクセで名前呼ぶとこだった!!

幸いな事に、水谷はまだ気がついていない。
見慣れたヤツの隣には、見慣れない人物が一人。茶色い柔らかそうな髪は、ショートカット。服装は、良く言えばあっさりしてるというか、俺達とたいして変わらない感じがする。「へぇ、あんな感じが好みなんだ」と呟きそうになって、俺は再び口を塞ぐハメになった。

「うぐっ・・・」
「花井?」「お兄ちゃん?」水谷や妹達が不思議そうな表情で俺を見る。やばい、この状況はやばい。隣の子はともかく、ここにいる全員がアイツの顔を知っている。特に水谷なんて、観察する気満々だったから、絶対にばれたらマズイ!
俺は必死の形相で、「なんでもない」と首を振った。何故、自分がこんな事で必死にならなければいけないのか判らない。
とりあえず、ばれたときのアイツの恐ろしさを想像すると仕方がないだろう、と自分に言い聞かせてみた。(まぁ、そう言うわけで、とにかく俺は必死だったのだ。)

「じゃあ、みんなそろそろ行こっか?」
「おう!ゲンミツに行く!!」
「「行きたい!行きたい!!」」

だが、そんな俺の苦労を知らない(当たり前なんだけど)面子は、嬉々とした雰囲気で出発しようとしている。頼む、頼むから、後、5分。後、3分待ってくれ!

「ちょ、ちょっと、待てっ!靴紐ほどけた!」

全員の足が止まった。俺は咄嗟の嘘がばれないように素早くしゃがむと、靴ひもを弄る。もたつく振りをしながらの作業に、頭の上から妹達の黄色いブーイング。悪かったな鈍くさくって、俺だって好きこのんでこんな事やってるわけじゃない。こうでもしなけりゃ時間が稼げねぇんだよ!!
だが、世の中とは、上手くいかないものなのである。一刻も早く俺達の視界から立ち去ってくれ、と必死で念を送っているのに、並んで歩いている二人の姿はいっこうに小さくなってくれない。―――はっきり言ってしまえば、遅い。遅い、遅すぎる!

しかし「こういう時に限って、なんでアイツはあんなにゆっくり歩いているんだよ!」と、心の中で叫んだ瞬間。俺は、何だか気がついてしまったのだ。

―――アイツ、歩く早さ、相手に合わせてやってんだ。

脳天をぶん殴られる様な衝撃だった。
いや、本当に目眩がした。っていうか、足の力が抜けた。
俺の視界の中で、二人は何か会話を交わしながらゆっくりと歩いている。アイツは相変わらずちょっと不機嫌そうな顔をしてるけど、それが本心じゃないのは見れば判る。むしろ(恐ろしい事に)ちょっと機嫌が良いくらいだ。そして、そんな心の機微までが判ってしまう自分が嫌だと思いつつも、目が離せないこの矛盾!
これで、更に手なんか繋いでいたら、明後日の方向に逃げ出したくなるほど居たたまれないんだけど、流石にそれはなくて、俺は胸を撫で下ろした。
他人の幸せを妬むつもりはないけれど、身近なヤツが鼻の下伸ばしている顔を、見る趣味も俺にはないからだ。

―――ほら、行け!それ、行け!さっさと、行け!!

やがて俺の念が天に通じたのか、二人の姿は、ゆっくりとだが入場口の人混みの中に消えていった。

「―――助かった・・・」
「何?お兄ちゃん、どうかしたの?」

あまりの安堵に、思わず溜め息を漏らしてしまった。妹達の不審気な視線がちょっと痛い。田島や水谷が、それ程気にした様子でなかったのは幸いだけど、女兄弟っていうのは変な部分で感がいい、こういう所も何かにつけて面倒だ。

「・・・いや、なんでもないから、そろそろ行く、か・・・」

「だから、さっきから俺達そう言ってるじゃん!」
「オレ最初にあれ乗りたい!!」
「私も、あれ乗る!」
「私も、あっちのに乗りたい!」

蹌踉めきながら起ち上がった俺の一言に、4人からわあっ、と一斉に返事が戻ってくる。

―――そうだな水谷、俺が悪かったよ。引き止めてたのは確かに俺だ、俺が悪かった・・・。田島は頼むからダッシュしないでくれ!万が一にでもあいつらに追いついたら、今までの努力が無駄になる。だから、飛び出すなって言ってんだろ!飛鳥と遥香は・・・お前等双子なんだから、とりあえず乗りたいヤツを統一しろ!俺の身体は一つしか無いんだぞ!!

そうして、ようやく全員の意見調整が出来たのは、集合時間からたっぷり30分以上経ってからだった。

「・・・い、行くぞ」

「「「「はーい!」」」」

俺の号令に、すこぶる元気な返事が4つ。なんでそんな無駄に元気なんだ・・・。田島はいつもの事だけど、水谷なんて完全に悪のりをしているとしか思えない。妹達は論外にしておいてくれ。
それにしても、最大の謎は、なんでこんな場所に来てまで俺が仕切るハメになっているかって事だけどな!

「みんな・・・頼むから、はぐれんなよ・・・」

「「「「はーい!」」」」


幼稚園児の引率だって、こんなに疲れる事は無いだろうな。おかげで入場する前から、俺の疲労はすっかりピーク寸前だ。
笑いそうになる膝を叱咤して、入場口に向かう。もしこの後に展開される更なる困難を予想出来ていたならば、俺はこの時点で潔くリタイアを決めていただろう。

だが、本当に本気で残念な事に、普通の人だった俺は、思い切り巻き込まれてしまう運命にあったのである。



□□□



と、そこまで思い返したところで、俺は自分の背後に人の気配を感じた。正面の水谷は、相変わらずだらしない姿勢でテーブルと仲良くしているから、まだ気づいていないようだった。
「おい・・・」
低い声が耳朶を打つ。後頭部にあまり軽くない衝撃。振り返ると、噂をすれば何とやら話題の人物がそこには立っていた。水谷の喉がひっ、と鳴る。
「あ、阿部ぇ!」
「なんだよ、人のこと化け物みたいに呼ぶな」
口調はあくまで淡々と、だが眉間には盛大に皺を寄せて阿部は椅子を引いた。少々バランスの悪い学食の椅子はガタガタと賑やかな音をたてて、阿部はその上にどっかりと座り込む。
「ほら、花井。これ志賀の授業の課題。先週言ってた資料のリストもついてるから」
俺の隣に座った阿部は、おもむろに鞄の中からプリントの束を取り出した。・
―――ぶ、分厚い・・・。
俺が休んでいた時に、こんな課題出されてたんだと思うと目眩がする。阿部がちょこちょこと手助けしてくれているからなんとかなるものの、無かったら今期の単位は絶望的だったかもしれない。
「阿部、マジで助かる。本当ありがとう」
「礼なら後で昼飯くらい奢れよ」
「うっ・・・げ、月末まで待ってもらえるなら・・・」
今月は色々あって財布の中身も大ピンチ。胸を張ってまかせろと言えない自分に、俺はちょっと凹んだ。

「くくっ、別にいーよ花井。いらねーから、ツケはそっちのクソから取り立てる」
「はぁ!?なんで俺が出てくんの?」
「阿部?」
しかし阿部は、落ち込む俺を鼻先で笑い飛ばすと、何故か話題の矛先を水谷に向ける。唐突にツケを押しつけられて、水谷はがばりと身体を起こしたが、その鼻先に別のプリントが突きつけられる。
「ほらよ、これがお前から頼まれてたモモカンの授業のノート(写し)だ」
「あ、阿部ぇ!ありがとう!!」
青褪めた顔から一転して、飛びつかんばかりの勢いの水谷を阿部はひらりと避けた。勿論件のプリントも、阿部と一緒にひらりと逃げる。
「あ・・・べ・・・?」
呆然とした呟きが水谷の口から漏れた。
「お前には、今日のB定食い終わってから渡してやるよ」
ひどい、鬼、悪魔。投げつけられる言葉を物ともせずに、阿部は椅子にふんぞり返ったままだ。ひとしきり水谷が悪口を投げつけ終わると、それを見計らったように阿部はまたプリントをちらつかせる。
「うう・・・阿部はひどいヤツだよ・・・」
「俺から借りたくなかったら、自分で授業でろ」
非常に真っ当な答えを返されて反論の余地の無くなった水谷は、とぼとぼと券売機の方に歩いていく。残されたのは、俺と阿部の二人きり。
「あー・・・、と阿部・・・水谷もちょっと可哀想じゃね?」
「花井」
「なんだよ?」
「これで一昨日の借りは返したからな」
一昨日の借り、と言われて俺は思わず阿部の顔を見た。不機嫌そうにプリントの端を弄っている指先、少し皺の寄った眉間はいつもと変わらない。

―――一昨日の借りって、やっぱあの時の事なんだよな・・・。

水谷が食券と引き替えたB定を運んでくるまでの間、俺はまた一昨日の出来事の続きを思い出していた。






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