【Don't cry baby】・23






「ちゃんと水分、摂っとけよ」
「うん」
最初の宣言通り、時計の長針が半周したところで休憩する事にした。軽く汗ばんだ身体は、冷たい水分を欲しがっている。俺は持参したコンビニの袋から、ミネラルウォーターと、スポーツ飲料のペットボトルを取り出して、三橋の前に並べて見せた。
「どっちか選べよ。どっちでも良いから」
「・・・み、水にする」
「こっちでも、良いんだぞ?たいして値段変わんねぇんだから」

こんな風になるんなら、最初から同じものを買っとけば良かったと俺は少しばかり後悔していた。三橋はよっぽど遠慮深い性質なのか、こっちから強く勧めないかぎりは、自分から先に手を伸ばそうとしない。今回は、俺の言葉に少し迷った様子を見せたのを、コイツの答えと判断する事にする。

「ほら、飲めよ」
お前の方が汗かいてんだからな。と前置きをしてから、俺はスポーツ飲料の蓋を開けると三橋に突き出した。
「あ、ありがとう」
「あと、腹減ってんだったら、帰りにコンビニにも寄っていくか?」
俺の言ったコンビニは、もちろん俺達が再会したあの店だ。三橋の家からも近くいし、雑誌も比較的揃っているので、最近の利用頻度は鰻登りになっている。逆に言えば、それだけ俺と三橋が会っているという事になるのかもしれない。
「肉まん、あるか、な?」
「今は夏だからな・・・。それにしても、こんな暑い日に、よく肉まん喰いたいとか言えるよな、お前も」
腹が減っているか?という問いには、素直に頷く三橋に呆れつつも、付き合って店に寄る事は、それなりに俺の楽しみになっている。どうやら肉まんは三橋の好物らしくて、こんなに暑い時でも喰いたいらしい。まぁ、最近のコンビニに季節感は薄いから、そろそろ肉まんだって置いてあるかもしれないしな。
「駄目か、な・・・肉マン」
「いや、別に俺は構わないけど。それよかタコ焼きじゃなくても良いのかよ?」
「た、タコ焼きは、もういい!!」
5箱も買っていたくらいなんだから、好物なんだろ。とからかうと、三橋の顔が耳まで赤く染まった。

「くっ・・・く。判った、判った」
何故かあの再会の日以来、タコ焼きの話をすると三橋の顔は赤くなる。理由は良く判らないけれど、単純におもしろくて。俺は時々この話題を三橋に振っては楽しんでいた。
「阿部くんっ!」
「ほら、早く行かねぇと肉まん無くなるかもしんねぇぞ」
「う、おっ!無くなっちゃう!」

無くなるも何も、売ってるかすら判らないという問題は、この際脇に置いておいて。俺達はコンビニへ向かうために公園を出た。
そして、他愛ない会話をかわすその道すがら、俺はふいに今日の目的を思い出した。
「あ、そうだ。三橋、お前さ今週末ってなんか予定あるのか?」
「予定?」
「無いんなら、これ行ってみないか」
俺が鞄の中から取りだしたのは、今日、水谷が自慢げに披露していたあのチケットだ。夜風でひらひらと揺れる鮮やかな色の紙切れを、三橋はひどく興味深げに見つめていた。
「それ、なんの券?」
「なんか新しいアトラクションの試乗券らしいぜ。招待券だから無料で乗り放題だって」
ひょっとしてこの手の乗り物が苦手なんじゃないか、という俺の心配は、どうやら杞憂に終わったようだ。手渡された券を、裏表満遍なく眺めた後、三橋は例の奇妙な顔で「うひっ」と笑う。

「オレ、ここ行ってみ、たい!」
「じゃあ、土曜日の10時に、公園の入り口で待ち合わせな」
本当だったら、最寄りの駅か遊園地の入り口辺りで集合にしたかったけど、三橋の方向感覚を考えれば、それは無謀な賭にすぎない気がする。
多少面倒くさくても、確実に判る所で迎えに行った方が得策だ、と俺は結論づけた。
「公園の入り口・・・10時・・・」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ!『公園の入り口に10時』だ!」
一生懸命俺の言葉を反芻する横顔を眺めながら、俺は更に注意事項を追加する。

「遅刻すんなよ」
「はいっ!」
「後、余分なモンも持ってくんなよ。旅行とか行くんじゃないんだかんな」
「は、はい・・・・・・」
「それに前の日はちゃんと寝ろよ。ふらふらしてっと置いてくぞ」
「ね、寝る!ちゃんと、寝るよ!」
「そ・・・そうかっ、て・・・ぶっ!」

必死の形相で返事をしてくる三橋がおかしくて、俺はつい吹き出してしまった。

「阿部くんっ!!」

途端に、珍しくも厳しい表情の抗議の声が飛んでくる。コイツなりに真面目に答えたのを笑うなんて失礼だな、とは思ったが、そんなに簡単にこの笑いを止める方法を俺は知らなかった。
結局、ひとしきり笑い終わった後に、俺は怒る三橋を宥めながらコンビニへ向かう。こっそり伺った横顔の中で、むくれて尖る口元が更なる笑いを誘ったが、それについてはかろうじて押さえる事に成功した。

「肉まん、あるといいな!」
「・・・・・・」
「どうしたんだよ、食べたいんだろ?」
「た、食べたい・・・けど」

食欲の前ではどんなに斜めになってしまったご機嫌も、勝手に上向きに修正されてしまうらしい。自分の単純さに納得いかないのか、それすら自覚しているかも怪しいが、三橋の言葉は常に比べても歯切れが悪かった。対する俺は、事あるごとに弛みかける口を押さえるのに必死だったけど。




驚いた事に、この時期すでに肉まんはコンビニのカウンターで売られていた。さっきのやりとりで、すっかり臍を曲げてしまった三橋の為に、俺は肉まんを一つ奢ってやった。



□□□



【花井梓+水谷文貴 とある月曜日】



氷の溶ける微かな音がする。グラスの肌は拭ききれない程の汗をかいて、学食ならではの“限りなく透明に近いアイスティー”が、更に薄まるのも時間の問題のようだ。

「ねーねー、花井」
「なんだよ、水谷・・・」

空調の効きが甘いとはいえ、炎天下のキャンパスと比べれば、学食は青い風が吹き抜ける高原のように涼やかだ。だが、だらりと溶けかかった俺と水谷には、もうちょっと、ほんの少しでいいから冷気が欲しい。

「ねー、花井―」
「だから・・・なんだよ・・・」

あまり、というか全く嬉しく無い事に、俺には何となく、水谷が話題にしようとしている事の見当がついていた。いや、別に嫌な話題・・・っていう訳ではないんだけど。なんていうか、その疲れるっていうか・・・、脱力するっていうか、そんな話題だ。

「だってさー、花井だって見ただろ、あれ」
「・・・・・・見たけど、それがなんだっていうんだよ」
「なんか感想とか無いの?あれ、のさぁ」
「感想・・・・・・」

『感想』と水谷に言われると、記憶の中の景色が流れ出す。一昨日の話だからまだ色彩も鮮明なそれが、いやなくらいにくっきりと俺の脳裏に蘇った。



□□□


「花井、こっち、こっち!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる様に(っていうか本当に飛び跳ねながら)、田島が手を振っているのが見える。思わず腕に嵌めた時計を確認したが、集合まであと5分あった。
「田島ぁ、急かすなよ!こっちは二人も連れてるんだよ!」
時計を嵌めているのと反対側の手が、くん、と引かれた。それと一緒に、もう、そんなに子供扱いしないでよ、という抗議の声が二つ。
「お兄ちゃん、あれ、田島くんだよね?」
「急がなくていいの?」
「まだ、5分あるから大丈夫だよ。それよか二人とも、急ぎすぎて転ぶなよ」
飛鳥と遥香が、各々こくりと頷いた。最近、ちょっと生意気になってきた妹達だけど、新しいアトラクションの試乗券は、やはり相当な魅力だったらしい。「俺の言いつけを守らなかったら、家に帰すぞ!」の約束を守って、今日は二人揃って俺の言う事をきちんと守っている。よし、こっちは問題無さそうだな。

飛び跳ねる田島を眺めながら、3人で歩いて集合場所に向かう。到着すると、そこには今日のメンバーと覚しき面子が顔を揃えていた。
「なんだ、俺達が最後かよ・・・」
「だっから、急げっていったじゃん!」
お前、今日練習無いのかよ?と尋ねれば、今日はたまたま休みだったんだ、と本当か嘘か解らない事をいう田島。
「あああっ!女の子連れてくるっていったから、券を余分に渡したのに、その子達って・・・」
「俺の妹」
何か文句あるか?と問えば、少し肩を落としながらも水谷は首を横に振ってみせた。そして、次の瞬間には、いつものへらりとした笑顔を見せながら、二人に話しかけている。俺は毎度ながら、水谷の長所はこういう所の切り替えが早い事だと思っている。

―――だけど、その長所と、妹に手を出す事は違うからな、おい!

「花井の妹さんって、二人とも可愛いねー」等と、甚だ調子の良い事を言っているヤツは、とりあえず目で牽制しておいた。







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