【Don't cry baby】・20




今の三橋に尻尾がついていれば、千切れんばかりの勢いで振っていたに違いない。三橋は嬉しそうな様子を隠しもせず、だが顔だけは忙しなく、俺と菓子の間を行き来していた。そんなに喰いたいんなら、早く喰えよ。見かねた俺が言いかけた時、ふいに三橋の眉が下がって、それまでの喜色が薄くなる。

「で、でも阿部くん、の分は?」
「は?」
「だ、だって、俺が全部もらっちゃったら、阿部くんの分が・・・」
「俺の分はイイよ。ほら、タコ焼きの礼だと思ってもらえれば」
なんとかもっともらしい理由をつけられて、自分でも少しほっとした。俺としては、気の迷いで買った物を押しつけた罪悪感に苛まされていたところに、「イイヒト」光線を浴びせられてたんだ。(この菓子にちょっとは興味が無かったか、と問われれば、少しはあったけど。)それでも、こんなに喜ぶヤツの口に入れてもらった方がメーカーだって菓子だって本望ってとこだろう。

だが、そんな俺の思いをよそに、三橋はいきなり菓子の箱を開け始めた。
「お、おい?」
「はい!」
無造作に開けられた箱の中には、一つずつ丁寧に包装された薄っぺらい褐色の菓子が並んでいた。思ったよりも数の少ないそれを、三橋は半分ほど手に取って、俺に向かって差し出している。

「は、半分こ、しよ!」
「・・・・・・、あー」

なかなか頷かない俺に、鳶色の瞳が不安気な色に揺れた。

「え、じゃあ、阿部くん、もっといる?」
「はぁ!?」
俺が半分では不満、と考えたのか三橋は箱の中から新たな菓子を取り出そうとしている。それをちょっと、待て。と押し止めると、俺は差し出されていた菓子の山から、一つだけ摘みあげた。

「俺はこれだけで良いから」
「え、でも・・・」
「だから、良いって。後は全部お前が食ってくれよ」
「・・・・・・うん」


これ以上不安気な顔をされても堪らないから、俺はすぐに小袋を破って菓子を口にした。

「う・・・甘っ!」
小さな茶色の物体を口に放り込んだ途端、思わず口元を押さえて呻き声をあげた。だって、甘い。甘すぎるだろこれは!何が甘さ控えめだ!俺は心の中で、思い切り店のポップを蹴り上げる。これは完全に「看板に偽りあり」ってヤツだろう。口の中にまったりと広がる甘さに眉を顰めていると、こっちの様子を伺っていた三橋が恐る恐る声をかけてきた。

「ちょ、チョコは甘い、と思う・・・」
「そりゃ判ってるけど」
こんなに甘いと思わなかったんだよ。とぶっきらぼうに答えると、何がおかしいのか三橋は「ウヒッ」と小声で笑う。

「なんだよ、その笑いは・・・」
「え、あ、あ、ごめんっ!」
「まぁ、いいや。そういう訳で、俺はこんな甘いの喰えないし。お前が甘いの好きだっていうんならもらってくれよ」
「う、うん・・・」
三橋も漸く納得したらしい。おぼつかない手つきで菓子箱の蓋を閉めると、大事そうに胸に抱えなおした。

「ありがと、うっ」
「こっちこそ、こんな長い時間、引き留めて悪かったな」
「ううんっ。俺、こそ、ありがとうっ!」
俺の言葉は、ぶんぶんと音が出そうな勢いで、大きく頭を振って否定される。話をしていた間はきちんとこっちを見ることのなかった三橋の視線が、別れ際のこの時は真っ直ぐに向けられていて。俺は、それが思いの外嬉しかった。

―――は?“嬉しい”って何だよ?

コイツは男だぞ。という突っ込みは心の中に留めておいた。(しかも、ちょっと変なトキメキだったのは、気のせいだと思う事にする。)色んな所で途切れる会話だったけど。最初の苛つきが嘘のように、今はそれすらも不思議と心地良かったからだ。
そういえば、最近誰かから、こんな素直に礼を言われたりした事があったっけ?(とりあえず水谷とかは除外して考えた。あれは全く比較にならない。)

―――・・・あった、かもしれないけれど。

「・・・・・・思いだせねぇ・・・」
「えっ、あっ、な、何!?」
「あ、悪い。こっちの話だから、気にすんな」

ふわふわの頭が上下する。ああ、この前も思ったけど、何か触りたくなる頭だよな。触らないけど。でもそんな下らない事ばかり考えていても、時間は止まらない。

―――くしゅ。

「おい、三橋。今のくしゃみはお前か?」
「あ、うん・・・」
「ちっ・・・、本当に悪い。お前もう帰れ、このままだと遅くなりすぎるだろ」
「え・・・」
「俺も、もう帰るから」
微かに鼻をすする音が聞こえて、俺は現実に引き戻された。なんだよ、俺、引き留めて悪いと謝ったくせに、気がつけばまだコイツの事を帰らせていなかった。なんかいつもの自分と調子が違いすぎて気持ち悪い。ここらで本当に切り上げなければ、と俺は自転車のスタンドを蹴り飛ばしてペダルに足をかける。

「じゃあ」
「・・・・・・うん」

弱々しい返事に振り向くと、子供みたいに菓子箱を抱えた三橋。ふにゃりと垂れた眉の下で、捨てられた子猫の様に瞳が潤み始めている。

「おい・・・」
「・・・お、オレ、大丈夫、だよ!」

そんな顔しておいて、本当かよ!という突っ込みは脇に置いておいて。俺は胸のもやもやしたものが、再び苛立ちに変わるのを感じていた。

―――おい、どうして俺がここまで付き合わなきゃならないんだ?でも、こんな時間まで引き留めたのは俺だしな。でも、コイツの家はもう目と鼻の先なんだろ、今更迷うなんて事あるはずないじゃないか。でも万が一また道に迷ったら・・・。


「あー、ったく。面倒臭ぇ!!」
「ひっ!!」
びくっ、と怯える姿がちょっとウザい。頼むから、もうちょっとフツウに人の話を聞けないもんだろうか。もっとも俺の喋り方も相当雑だから悪いのか?いや、今はそんな事を考えたって何の解決にもなりやしない。

「三橋、後ろ乗れ!」
「え・・・あ、阿部くん?」
「家の前まで送ってやっから、早く乗れ!」
「で、でも・・・」
「このままじゃ、俺の方が落ち着かねぇんだよ!乗れったら、さっさと乗れ!」

ぐるぐる回り始めた思考にケリをつけるため、俺は三橋をアイツの家まで送る事にした。公園のすぐ側だから、たいした時間もかからない。それに、何となくだけど。そうすれば、この胸の変な感じも収まるような気がしたからだ。まぁ、一番の理由は、あんな目でこっちを見るヤツを置いてったら、今夜の夢見がとんでもなく悪くなりそうで堪らないからだけどな。

自転車の荷台を軽く叩いて、ここに乗れと促すと、怖々といった様子で三橋は跨ってくる。

「し、失礼、し、ます」
「じゃあ、行くぞ。ちゃんと掴まってろよ」

後ろで頷く気配を感じてから、俺はペダルを踏む足に力を込めた。おずおずと腰に回された手が、シャツの端を掴んで皺を作る。背中に感じる体温が、やけに熱かった。

―――あー、本当ガキみてぇ。

こんな風に服の端を掴まれるなんて、俺の記憶にある限りでは、シュンくらいなもんだ。

踏み込むリズムに合わせて、滑らかに車輪が回り出す。耳元で風が吹く。昼の熱の名残を残した、夜の大気の中で、見上げれば白い星々が瞬き始める。



家路は、もう目の前だ。






□□□



「あ、そこ、右だ、と思う・・・」
「馬鹿っ野郎!お前の住所だと、そこは左だ!!」
「ひっ!」
「なんでこんな近所になっても、間違えるんだよ、お前はっ!」
「ご、ごごごごめんなさいっ!」

あー、やっぱり送って良かった。この様子だと、コイツを一人にしたら、一晩経っても家に辿り着かなかったに違いない。溜め息をついた俺の身体が、自転車ごとぐらりと揺れた。

「あ、おま、三橋!体重傾けんなよ!」
自転車倒れるだろ!と必死の形相で振り返る俺に、三橋は涙をいっぱいに浮かべた瞳を擦り付けてくる。
「ご、ごごごごめんなさいっ!!」
「だから、しがみつくよりバランスとる事考えろってば!」
「うわっ・・・だ、だって・・・怖い・・・」
「・・・はぁ?」
「お、オレ・・・二人乗りした、事・・・なくって・・・」
目眩がした。ペダルを漕ぐ足の力も抜けそうだ。

「あ、あべ・・・くん?」


不安定に揺れる自転車の上、俺は最後の理性を総動員して歯を食いしばる。その甲斐あってか、飛び出しかけた言葉はかろうじて、心の中に留めておけた。


―――それならそうと、早・く・言・え!!



□□□




歩くよりも遙かに苦労をして辿り着いた部屋は、公園から10分もかからない所にあった。






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