【Don't cry baby】・2


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今日もあの車が来てから大分時間が経ったと思う。いつもの場所に腰を下ろしながら、廉は目の前の空き地とぼんやりと眺めていた。
暖かくなり始めたせいか、痩せた地面にもちらほらと緑の草が芽吹いている。大地にへばり付くように根を張る姿はお世辞にも優雅とは言えないが、その必死さが自分と似ている気がして、廉は雑草に奇妙な親近感を覚えていた。誰にも顧みられる事はないが、廉も草も同じ様にこの場所にいるのだ。

「もう、帰っちゃったかな・・・」


車が到着した時のざわめきはもう聞こえない。そろそろ自分も施設の中に戻ろうかと立ち上がった時、ふいに目の前に見慣れない人物が現れた。





「なぁ、お前的当てが得意なんだって?」

「え、うえぇ・・・」

誰も来ないと思った場所で、全く知らない人物から声をかけられて、廉の頭の中は一瞬にしてパニックに陥ってしまった。身体が無意識に後ずさりするが、目の前の少年(たぶん自分と同じ位なのはかろうじて判断できた)は廉が下がった分だけ間を詰めてくる。

「なんだよ、そんなにびくつくような事かよ」

少し生意気そうにきゅっと上がった目尻が彼の性格を良く現しているような気がする。黒いスーツは丁寧な縫製がされていて、彼の身体に誂えた様にぴったりとしていた。あえて難をつけるのなら、綺麗な顔立ちの割に、言葉遣いが些かキツイ事くらいかもしれないが。少年の魅力を損なわせる程では無い。

「う・・・ぇ、ごめん・・・なさい」

呆れたように呟かれて、廉の口から反射的に謝罪の言葉が零れる。言葉と一緒に、ぽろりと涙も。そのせいで、べそべそと泣きながらの謝罪だったが、少年はたいして気にした様子も見せず後ろを振り返る。軽く顔を振って、誰かの事を探す仕草。その時になって漸く、廉も少年が一人でない事に気がついた。

「あー、やっと見つけたんか?」
小柄な少年と対照的に、ひょろりと背の高い男が立っている。何がおもしろいのかは判らないが、その口元は少しばかり弛んでいた。もっとも男の目を見れば笑ってなどいない事は明らかだったが、廉にそこまでの判断をする余裕は全く無かった。

「おい、織田。本当にこいつなのかよ?」
“こいつ”と指さされて、廉の身体がびくりと震える。どこの誰だか判らないが、この二人は廉の事を探しに来たらしい。馬鹿だ、のろまだと言われ続けた廉にもそれ位の事は判った。
「んあ?そうみたいやで、叶。このぼんの的当ては相当なもんらしいで」
「ふーん」
じゃあ、試しにちょっとやらせてみせるか。と呟くと「叶」と呼ばれた黒髪の少年は廉に向き直った。

―――だ、れ・・・?オレの事、話してる・・・?

「おい、お前」
「あ・・・う、お、オレ?」
「そうだよ、お前だよ」
「う・・・」

萎縮する廉の顔を覗き込むようにして叶は、廉が思いも寄らないような事を口にした。

「名前なんて言うんだ?」

「な、まえ?」
(オレの、名前?)
「びびってたって、名前くらいは言えるだろ」
「うあ・・・、れ、れん」
「うあれん?」
「う、ううん、・・・廉、です」
「そっか、廉か」

続けて、『名字は?』と問われたので『三橋』と応えると、叶は満足そうに笑った。笑うときつそうに見えた目元が丸まって、いかにも自分と同じくらいの少年が笑っているように見えて。その表情につられて廉も「うひっ」と小さく笑った。


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その後の展開は、廉の予想外の更に向こうを行くものだった。

叶に促されて施設の片隅で『的当て』を披露した。的当ては、力の強い者なら薄い板の的くらい簡単に割る事が出来る。しかし、たいした力もない廉は、せいぜい「正確に的に当てる」事くらいしか出来ない。ぼろぼろになるまで練習した的当てだったけど、所詮この程度だ。
たいした事が出来なくてごめんなさい。と、しょんぼりと項垂れた廉に、叶と織田(と呼ばれていた)二人は心底驚いたような顔を見せた。どうやら二人にとっては「正確に的に当てる」事が出来る方が重要だったらしい。その腕が欲しいんだ、と叶に言われた時、廉は飛び上がる位に嬉しかった。
今まで誰からも必要とされたことなんてなかったから。自分を認めて必要としてくれる相手に初めて出会えて、嬉しいと言って涙を零す廉を見て、叶が少し照れたような顔でハンカチを突き出してきた。涙を拭けという事らしい。

それが嬉しくて、廉はまた泣いた。

その後、やっと思いで叶と織田が廉を泣きやませたが。二人に連れられた先があの車だった事で、結局廉はまた泣いてしまった。
あの日は、今までにないくらいたくさん泣いたけど、廉はすごく幸せだった。
嬉しくて泣ける事なんて、今まで一度だって無かったのだから。


―――こんな事、本当、に、あるんだ・・・。


憧れの車の座席は、ふわふわと柔らかくて、気持ちよくて、行く先がどこかも判らないまま廉は寝てしまった。


―――目覚めたらきっと、新しい世界が自分を待っている。



蕩けるような眠りに引き込まれながら、廉は微かに微笑んでいた。







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