【Don't cry baby】・18




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一昨日、オレに親切にしてくれた彼は、阿部くんというらしい。

『阿部隆也』と口の中でこっそり反芻してみたら、なんだか自然に顔が弛んでしまった。また会えるなんて思ってもいなかったから、とても驚いたけど。同時に、すごく嬉しかったのも本当なんだ。阿部くんが、オレの名前を覚えていてくれたのも、本当に嬉しかった。
実は、修ちゃんには内緒にしてしまったんだけど、オレ達は他人に名前を名乗る事を禁じられている。必要に応じて、その場限りの名前を言う事はあるけれど、本名を伝える事は稀でしかない。だから阿部くんに、うっかり本名を教えてしまった時は焦ったけれど、今は伝えて良かった、とも思っていた。


誰も知らない街の中で、オレの名前を知っている人がいる。


それだけで、これからの生活がちょっと頑張れるような気がしたんだ。





「お前さ、ここら辺に住んでんの?」
「え、あ・・・う、うん」
ふいに尋ねられて、どきりとした。いかにも買い物帰りの袋をぶら下げているのに、否定するのも不自然だったから、素直にこくりと頷いておく。阿部くんは、そっか。と呟くと、俺は友達の家に寄った帰りなんだ。と教えてくれた。どうやら阿部くんの友達も、この近所に住んでいるらしい。しかし、それきり会話が途切れて、沈黙が訪れた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
何を話したら良いのか判らない。ただでさえ会話の苦手なオレには、会って2度目の阿部くんと、どうすれば上手く話せるのかが思いつかなかった。せっかく話しかけてくれたのに、オレの名前覚えていてくれたのに、阿部くんの名前も教えてくれたのに。申し訳ないという気持ちばかりがぐるぐると回って、なかなか答えにたどり着けない。

―――ど、ど、ど、どうしよう・・・。

すると、がっちり固まってしまったオレを見かねたのか、阿部くんが声を掛けてくれた。
「あんまさ・・・緊張すんなよ」
こっちまで固くなっちまうだろ。別にお前の事怒ってる訳じゃないんだぜ。と言われて、オレは思い切り頷いた。

―――やっぱり阿部くんはイイ人だ!

勢い良く頭を振りすぎて、つられたようにぶら下げた袋の中でタコ焼きまで一緒にジャンプする。

「う、うんっ!」
「そ、そんな、キラキラした目で見んなよ・・・」
うっ、と詰まる様な声が阿部くんの喉から漏れた。どうしたんだろう?阿部くん、あまり調子良くないのかな?小首をかしげたオレを見て、彼の顔が奇妙に歪んだ。が、その視線が次の瞬間オレの手元に止まる。

「おい、三橋。それタコ焼きか?」
「あ、う、うん!え、駅で買ってきた、んだ!」
「ああ、じゃあ呼び止めちまって悪かったな。冷めちまうだろ」
確かにタコ焼きからは、買ったばかりの時みたいに白い湯気は出ていない。でも、それはオレが散々道に迷っているせいで、阿部くんの所為じゃないんだけど・・・。
でも、阿部くんは自分が呼び止めた所為だと思っているのか、軽く手を振るとオレに背を向けようとしていた。
「冷める・・・って?あ、ちょっと、ちょっと待って!!」
「え、何?」
「あ、あの、あの・・・」

なんで、こんな良い事に気がつかなかったんだろう。阿部くんの友達がこの辺りに住んでいて、来た事もあるってことは。


「お、オレの家教えて下さいっ!!」


「はぁ?」


―――え、今、思い切り訳が判らないって顔された・・・気がするんだけど・・・。


自分がどれだけ恥ずかしい事を聞いたのか、オレが自覚するまでにそう時間はかからなかった。


 

□□□



公園の街灯が、輪郭の曖昧な影を足下に作っている。コンビニの前でオレに縋られた阿部くんは。話を聞くと、呆れながらもここまでオレを連れてきてくれた。この公園の角を曲がれば、オレの住んでいるアパートは目の前らしい。

「で、三橋・・・。自分の家が判らないって、どういう事?」
鋭い視線が体中に突き刺さる。それもそうだろう、いい年したオレみたいなヤツが自分の家に帰れなくなりました。迷子になりました。っていたら、阿部くんじゃなくても10人中10人がきっと呆れる。

「え、えっと。一昨日、引っ越した、ば、ばかりで・・・」
「ふーん」
「お腹空いた、から、買い物に行ったんだ、けど。帰り道・・・判らなくなっちゃって・・・」
「へぇ、で。タコ焼きがこんなになるまで歩き回ってたって訳だ?」

阿部くんの片手には、オレが渡したタコ焼きが一箱。湯気で箱がふにゃふにゃになったそれは、かろうじて人肌程度の温度を保っている。

「う・・・ん」

「じゃ、腹減ってるだろ。早く喰えよ」





もう、ここだったら一人で帰れるだろ。と踵を返そうとした阿部くんを引き留めたのはオレだ。
お礼といって、5箱買ったタコ焼きの一つを押しつけると、阿部くんは公園のブランコを指さした。
「これ以上経つと、美味くなくなるから。今ここで喰ってくか?」
「あ・・・・・・」
オレが首を振るなんて思ってないのだろうか。阿部くんはそう言ったきり、確認もしないでどんどん公園に入っていく。ブランコは入り口に近い場所にあったけど、時間も時間だからオレ達は問題無く二人で座る事が出来た。
座るなり阿部くんはさっさと箱の蓋を開けて、中に入っていた串を使い、器用にタコ焼きを突き刺す。
「じゃ、お先に」
いただきます。と小さく付け加えて、阿部くんがタコ焼きを頬張った。
「ほら、お前も早く食わないと、どんどん冷たくなるぞ」
「う、うん」
言われて、オレも慌ただしく膝の上の箱を開けた。蓋の裏にはびっしりと水滴が溜まっていて、まん丸だったタコ焼きは、まるで踊り疲れた後のように、隣同士でくっつきあっている。一つを持ち上げると、隣と隣とその隣まで、ぶらんと一緒に付いてきた。

「・・・・・・お前な」
「ふ、へ?」
とりあえずくっついていた分を纏めて口に押し込むと、阿部くんが呆れた様な声をあげた。

―――何かマズかったのかな?

阿部くんの手が近づいてくる。思わず、ごくんと口の中のタコ焼きを飲み込むと、焦った様に「待て」の声がかかった。

「頼むから、そんなにいっぺんに食うなよ・・・」
「そう、かな?」
でも、大丈夫だよ。と答えると、阿部くんはオレの手の串を使ってタコ焼きを一つ突き刺した。阿部くんの手にかかると、あんなにへばり付いていたタコ焼きも、嘘みたいに綺麗に剥がれてしまう。すごいなぁ、と感心して見つめていると、阿部くんはタコ焼きを一つ、刺したままの串をオレに突き出した。

「見ている方の喉が詰まりそうなんだけど」
「あ・・・ご、ごめん」
「こうすれば、1個ずつ喰えるだろ」
「う、うん」

いつの間にかオレの箱の中では、タコ焼き達は綺麗にバラバラにされていた。なんか、ちょっと子供扱いされている様な気もしたけれど・・・。阿部くんの顔を見たら、当たり前みたいにまた自分の分のタコ焼きを食べていたから、とりあえずオレも食べるのに集中する事にした。





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