【Don't cry baby】・15







「なんだ?廉」
「オレ、ひ、一人、で生活する、の?」
子供みたいだと笑われるかもしれないけど、オレにとってはその事が一番重要だった。仕事を教わる中で、一人で生活出来るような知識や訓練も受けてきたけれど、こんな唐突に放り出されるとは思わなかったからだ。

「うん、これからは、廉は一人で生活するんだ」
たまには遊びに来てやれるから。と修ちゃんは慰めてくれたけど、それが難しい事なのは言われなくても判っている。でも、オレがこの決定について嫌だ、と言う事は許されない。それが組織の中にいるという事で、駄々を捏ねたって修ちゃんを困らせるだけなんだ。
「・・・わ、判った。オレ、が、頑張るよ!」
「うん・・・」
修ちゃんに迷惑はかけたくない。だからオレは無理にでも笑ってみせた。昨日の夜の事を考えれば、あれ以上に怖くて寂しい事なんて無いと思うんだ。


「じゃあ、また連絡入れるから」
最後に「頑張れよ」と言い残して修ちゃんは部屋を出て行った。



修ちゃんが帰ると、部屋の中は途端にがらんとなった。食べ終えた器をシンクに運んで、水を流す。跳ね返った水しぶきが、点々とした模様を台の上に作った。
「一人、で、生活する・・・んだ」
ふいに鼻の奥がツンとして、涙がぽろりと金属の箱の中にこぼれ落ちる。

―――オレ、また一人になっちゃったんだ・・・。

『家』での訓練の日々は辛かったけど、こんな風に期限も決めずに一人で生活する事は無かった。昔の事を考えれば、この生活がどれだけ恵まれているかは比べ様も無いけれど。それでもオレは涙を止める事は出来なかった。でも、もう誰もこれを拭ってくれる人はいないんだ。


「が・・・頑張んなきゃ・・・」

蛇口から落ちる水に、涙はすぐに溶けて見えなくなる。洗った皿を布巾で拭いて棚にしまうと、もうこれ以上指一本動かしたくない位に、オレは疲れ果ててしまった。

「明日から、オレ、は一人なんだ・・・から」

零しすぎた涙で、頬の表面がぴりぴりする。手で擦ると余計に痛くなって、慌てて冷たい水で顔を洗った。乾いたタオルに、水気も涙も吸い取られていくけど、落ちてゆく気持ちを留める事は出来なかった。





新しい生活が始まった最初の日。オレは部屋から一歩も出る事は無く一日を終えた。







□□□




【阿部隆也+三橋廉 度重なる偶然は、運命に変化する】




金曜日。
あのクソ合コンから3日目。いや、あれが水曜日の夜から木曜の早朝にかけての事だったから、正確にカウントするならば、土曜日の明日で3日目か。
幸いと言うか、当然と言うか、水谷はあれから合コンの“ご”の字も口に出さない。(その点については、褒めてやっても良いと思っている。水谷も成長しているらしいな)
俺の方はといえば、山積みになっていた課題もほぼ消化し終えて悠々自適。後は楽しい週末を待っていられるご身分だ。
今週は久しぶりに遠出でもするか、と明日からの計画を頭の中で練っているところに、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「あーべーっ!」

遠くから呼ばれる俺の名前。このパターンが・・・良かった試しは無い。
距離は後方75メートルと予想して、俺は振り返ることなく真っ直ぐに歩き続ける。要するに聞こえない振りをしたって訳だ。走りはしないが、足取りも決して緩めない。あくまで気づいていない風を通すのが、成功の秘訣だからだ。
「あーべーっ!阿部阿部阿部、阿部―っ!!」
しかし俺のそんな努力も虚しく、10メートルも歩かないウチに敵は背後まで近づいていた。しかも、かなりの高スピードなので逃れる時間は無さそうだ。

「・・・・・・ちっ」
―――いない・・・か。

辺りを見回したのは、コイツの保護者を捜すためだ。いつもならタイミング良くその辺にいるのに、今日に限ってあの面倒見の良い長身の姿が見えない。

「おい、阿部っ!」

どん、と音がしそうな勢いで体当たりがかまされる。幸い想定の範囲内だったので、無様によろめくような事はなかったが、喜んでばかりもいられない。

「わあ、なんだ、田島?」
とりあえず、“今、気づいた風”を装ってみる。
だが、演技に全く自信の無い俺は、棒読みの台詞しか言えなかった。(ちなみに“わあ”と“なんだ?”の部分が棒読みだ)

「おい・・・」
案の定、田島からは訝しげな視線が俺に向けられたが、軽く流しておく。田島にしても、これ位些細な事は気にしない性質だから、話題はすぐに切り替わった。

「あのさ、お見舞い行こうぜ!」
「見舞いって、誰のだ?」
「花井だよ!今日アイツ学校来てないだろ!」
「ああ、確かに・・・」
姿を見かけないと思ったけど、そういう事だったのか。流石に昨日は出席重視の必須科目があったからか、青い顔でも学校に来ていたが。そんな無理が祟ってか今日は朝からダウンしてしまったらしい。とは田島の弁だ。

「昨日、せっかく元気づけてやろうと色んなとこに遊びに行ったんだけどさ」

「え・・・・・・」


―――そうか、トドメは田島が刺したのか・・・。


阿部が花井の事、元気づけてやれって言っただろ。と言われれば返す言葉も無いのだが、アイツの不憫な体質には、この俺だって些かの涙も禁じ得ない。

「なんかさぁ、調子悪くて家で寝てるっていうから、なんか持って花井んチ行こう!!」
「田島・・・」
―――お前のそのテンションで行ったら、花井の病状は確実に悪化するぞ・・・
だが、そんな事を言ったところで田島が納得するはずもない。こうなれば、取るべき手段は二つしかない。全てに目をつぶるか、俺も田島に付き合うか。タイミングの悪い事に、今日に限って栄口も水谷もいないから、残るは俺だけなのだ。しかも責任の一端が俺にあると考えれば、どちらを選ぶべきかは明白だった。

「オレ今日は野球部の練習無いからさ」
「じゃあ、俺の5限の授業が終わったら行くか?」
「おう!ゲンミツに行くっ!」
「じゃあ、終わった位に正門の辺りで待ち合わせだな」

何か見舞いによさそうな物を見繕っておくか。花井の家までの道すがら、適当な店を思い返す事にした。





見舞いに行ってみると。花井は思ったよりは元気そうだった。(見舞いに行くまでの道で、実は田島がどれだけ落ち込んだ青い顔をしていたかは、折りを見て話してやろうと思う。)
体調が悪いならと短い時間できりあげるつもりだったのが、花井の親が帰宅して夕飯を勧められたせいもあって、俺と田島が帰路についたのは予定よりも遙かに遅い時間だった。
「こんなに遅い時間まで引き留めて悪かったな」
親にも言っとくよ。坊主頭をがりりと掻きながら、花井は門扉まで見送りに来た。
「ああ、別にあんま気にすんな。こっちはご馳走までしてもらちまったし」
「飯、美味かったよ!」
花井の回復を見て安心した田島は、他人の家にも関わらず飯を丼3杯お代わりしていた。

「母親に言っとく、きっとすげぇ喜ぶよ」
「じゃあ」
「じゃあ、また明日」
「早く寝ろよ」

他愛のない会話の応答。思ったより花井も元気そうだったから、あれなら来週は大丈夫だろう。田島と二人自転車を並べてしばらく走ったが、5分も行かないうちに分岐点が来る。田島は学生寮だし、俺は家に帰るから、ここでお別れだ。

「今日は付き合ってくれてありがとな!」

「いや、俺も気になってたからかまわないさ」

いつも通りの笑顔で田島は走り去った。寮の門限が近いとかで、自転車を漕ぐ早さは並のものではない。あっという間に遠ざかる後ろ姿。そうして一人になった俺も、自宅へ向けて緩やかにペダルを踏み込んだ。






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