【Don't cry baby】・14





【三橋廉・叶修悟】



「廉、れーん。用意出来たぞ」
肩をゆっくりと揺すられる。目蓋はまだ重くて堪らなかったけど、それよりも鼻孔を刺激する香りに腹がぐうと鳴った。
「腹の方が先に返事したな」
くすくすと笑う声が聞こえる。修ちゃんの声だ。

「・・・ご、はん」

お腹空いた。と呟くと、早く席に着くように促される。手も足も、鉛みたいに重たかったけどオレはゆっくりと起きあがった。白い光に世界が満たされる。

「あ・・・」

見開いたオレの瞳に映るのは、初めて見る部屋だった。

「ほら、早く席に着けよ。朝飯冷めちまうぞ」
「うん・・・、修ちゃ、ん。ここ・・・」
「ここ?ああ、うん。それについては、飯食いながらでも説明するから」
なんだか腑に落ちない部分もあるけれど、朝ご飯を食べながらという点においてはオレにも否やは無い。勧められるままに椅子に座ると、目の前には本当にオレの好きな物ばかりが並べられていた。

「お、美味し、そう・・・」

綺麗に黄身が盛り上がった目玉焼きに、軽い焦げ目の付いたウィンナーが数本。サラダの上にはハムがたっぷりと載せられていて、ドレッシングも添えてある。テーブルの上のトースターからは、手を触れたら崩れそうな位にサクサクのクロワッサン。バターとジャムも並べられていた。

「廉は、コーヒーにするか?それともジュースにする?」
「お、オレ、カフェオレが良い!」
「はいはい、ちょっと待っててな」
お預けをくらった犬よろしく、オレは涎が垂れそうになるのを押さえるので精一杯だ。修ちゃんが大きめのマグに、並々と注がれたカフェオレをオレの前に置いてくれたのを開始の合図に、朝食はスタートした。

「ふ、ぐ。う・・・んっ!」
「廉・・・、美味いか?」
「うん、すっごく、美味しい、よ!」

オレの前の皿は、みるみるウチに空になる。手を伸ばして新しいパンを取ると、修ちゃんはそれを呆れたような、でも面白がる風な表情で見ていた。でも彼の手元は、オレとは対照的に少しも動いていない。

「・・・なんだ?もう腹いっぱいなのか?」
「う、ううん。修ちゃん・・・た、べない、の?」
「ああ、俺はそんなに腹空いてないから。廉は昨日の夜から食べてなかっただろ、もっと食えよ」

そういえば、結局昨日の夜、オレは何も食べないで寝てしまったらしい。修ちゃんが夕飯もちゃんと用意してくれてるって、言ってたのに。気づいたら朝だった。

「う・・・ん」

口の中で、クロワッサンの一片がほろりと崩れる。バターの味がふんわりと広がって、いつもだったらそれだけで最高に幸せな気分になれるんだけど。今は、申し訳ない気持ちで胸がじわじわと痛んだ。




「ご馳走様、で、した」

結局、オレが全部の皿を平らげても、修ちゃんが口を付けたのはコーヒーだけだった。やっぱり、何か変な気がする。食後に出されたヨーグルトのスプーンを口に運ぶ。赤いジャムが落とされたそれは、ひんやりとオレの喉を通るけど。こっそりと伺った修ちゃんの顔色が、どことなく緊張している様にも見えた途端、口の中の甘さは何処かにかき消えてしまう。

―――やっぱり、何か変だ、よね。

昨日の失敗を怒っているのかもしれない。オレの失敗は、そのまま『家』の修ちゃんに対する評価に繋がってしまうから。そう考えると急に心臓がばくばくし始めた。



オレがガラスの器をおおかた空にしたのを見計らって、修ちゃんは口を開いた。

「廉、あのな。」
「は・・・い」
「突然の話な・・・」

「ご、ごめんなさいっ!」

「おい・・・?」
「き、昨日オレ、し、失敗しちゃって・・・、迷惑かけて・・・」

オレは、オレなりに必死だった。昨日は失敗したけれど、次は頑張るから。自分の言っている事が、どれだけ甘いかなんて判っていたけれど、どうしても見捨てられるのが怖かった。

「れーん。廉。落ちつけってば」
俺は怒ったりなんかしてないぜ。と言われて、その声の優しさに誘われるようにオレは顔を上げた。確かに修ちゃんの顔は怒ってはいない。
「第一、廉は失敗なんてしてねぇよ。お前はちゃんと的の始末はつけただろ。俺と織田が、廉を回収するのに手間取っただけなんだから」
だから、謝るなら俺の方が先に謝んなきゃなんねーよ、悪かった。と修ちゃんは言う。細くて綺麗な眉の間に寄った皺が彼の心を代弁している様で、思わず肩の力が抜けた。

「ふ、へ?」
―――じゃあ、なんで、あんな変な顔してたんだろう。

怒ってないのなら、何故?
疑問を口にしなくても、オレの意図は伝わったらしい。修ちゃんは困った様に笑うと、天井を指さした。その先には・・・変哲もない蛍光灯とただの壁?
疑問符を飛ばしまくっているオレに、修ちゃんは一番判りやすい言葉で教えてくれた。

「廉。今日から、ここがお前の家になるんだ」

「へっ?」

―――ここが、オレの、家?
修ちゃんが口にした予想外の台詞に、思わずきょろきょろと部屋中を眺め回してしまう。打ち合わせに使っていたホテルじゃないのは判っていたけれど・・・。見渡す限り白を基調にしたシンプルな家具は、必要最低限の物しか置かれていない。今、修ちゃんと向かい合って座っているテーブルと椅子。オレが寝ていたベッドと作りつけの棚が一つ。クローゼットもはめ込み式の様で、大きなものは置いていない。後はテレビと携帯電話がテーブルの上に載せられているだけだった。

「昨日の試験結果から、上が判断した。廉はもう自由なんだ」
「自由って・・・」
「まぁ、日常生活が自由になるって意味だけどな。仕事の時以外はここで生活して、連絡が取れるなら好きな所へ行ってかまわないし、何をしていても問題は無い」
「・・・・・・」
「生活費は用意した口座に振り込んでおくし、月末か仕事が終われば、その都度振り込まれる仕組みになっている」
「修ちゃん・・・」
「金も好きに使ってかまわないから。そんなに大金を用意してる訳じゃないけれど、フツウに生活する分は困らないと思う」

淡々と説明を続ける修ちゃんの顔には、さっきまでの変な部分は見えなかった。でも、この表情は知っている。オレに仕事の話をする時の修ちゃんの顔だ。

「しゅ、修ちゃん、は、どう、するの?」
「俺か?俺は今までとかわらないさ。組織に戻って仕事をする。廉には定期的に連絡入れるから、ちゃんと携帯は持ってろよな」
「う・・・うん」

何か他に聞きたい事はあるかって聞かれたけど、正直オレは、何を聞いたら良いのかさえ判らなかった。昨日の試験、知らない部屋、一人での生活、与えられた自由。いっぺんに押し寄せる新しい波に揉みくちゃにされて、思考が全然纏まらない。

だが、一通り説明を終えた修ちゃんが席を立った時、オレはとても大事な事に気がついた。




「お、オレ・・・」








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