【Don't cry baby】・13





□□□



【阿部隆也+花井梓・田島悠一郎】



朝から痛む頭を抱えて俺は次の教室へ移動していた。飲み過ぎたつもりはなかったが、安いアルコールは身体に酷い倦怠感を残している。前の授業で新しい課題を出した教授に殺意めいた物を覚えたのは、大学生活始まって以来の事だ。

「おーい阿部!昨日の合コンどうだった?可愛い子いたか?」

そんな俺の耳に、突き抜けるように脳天気な声が聞こえてきた。無駄に元気、無駄に精力的。無駄に勢いがありすぎるこの声は。

「別に・・・」
「なーんだ。阿部、テンション低いなぁ」
「・・・お前が高すぎるだけだろ、田島。」
今日の俺は返事をするだけで、重労働だ。この条件下でも働けと言われたならば、時給5千円は譲れない。

「いや、さあ。さっき花井に聞いてみたんだけど、イマイチな返事しか返ってこないしさ」
そりゃそうだろう。女共は逃げ帰るし(主に俺のせいらしい)、酔っぱらいを二人押しつけられるしでは、花井のとってさぞかし割の合わない合コンに違いない。

「・・・そんなに行きたきゃ水谷に言っとけ。田島のことだったら喜んで誘ってくれるだろ」
「え、マジで!?でも、オレ来週は試合があるしなー」
「来週やるとは誰も言ってない・・・」
それに加えて俺は「金輪際、水谷の企画する合コンに参加する気はないからな。」と釘を刺すのは忘れなかった。途端に田島は口を尖らせる。

「えーつまんねー。阿部、ゲンミツにツキアイ、わっりー!」
「悪くて結構だ!」
それよりも頼むから、漢字で喋ってくれ。“厳密”はともかく“付き合い”なんて小学校レベルの感じだろ。田島と会話をしていると、俺の頭の中で二日酔いとは別の部分がズキズキと痛み出した。そして、そんな事を知ってか知らずか、田島の話題は飛びまくる。
「でも、本当にもったいないよな」
「何が?」
「阿部さぁ、もてるだろ?」
「はぁ?」
なんで、そこに話がいくのかが良く理解出来ない。だが、「オレももてるけど、なんたって野球部の4番だからな」と胸を張るヤツを見て、それは確かに納得がいった。
田島は俺達の中では唯一の野球部員だ。俺を始め花井や水谷、栄口はみんな高校まで野球部に所属していた。それが大学でつるんでいる一因なのだが、今は田島の様に本気で野球に取り組んでいる訳ではない。せいぜいサークルという仲間の中で、楽しく気楽にやっているというところだ。それに対して田島は、大学生活もほぼ野球一色に染められている。2年で4番に居座って、今じゃ大学野球きっての注目選手は、その陽性の性格と破天荒な行動から妬みを越えた羨望を周囲に植え付けているらしい。

「女が好きなのは、お前みたいなヤツか、水谷みたいにマメなヤツだろ」
後は栄口みたいに優しいヤツか、花井みたいに面倒見が良いヤツ。

「ふーん。本当にそう思ってんだ」
ま、いっか。阿部がそう思ってんなら。
なんだ?今日は田島にしては、やけに含みのある言い方するな。と思ったものの面倒くさいから追求するのは止めておいた。普段から回りくどい事を言わない田島の事だから、そう深い意味もないだろう。

「それよりも、俺に用事ってそれだけか?」
「あ、いんや、阿部って今日は暇?」
「忙しい」
「マジで!?本当に本気で忙しいの?」
「本当で本気で忙しい」
これは嘘じゃない。昨日のおかげでレポートの空白はまだ半分も埋まっていないし、新しい課題も出た。ハッキリ言って今日の俺にはコイツに付き合って遊んでる暇はない。
「なんだよー」
「お前こそ、練習は良いのかよ?大会近いんじゃないのか」
「今日はオフ!たまにはがっちり遊ばないと野球も楽しめないだろ」
ストレス溜まると、一本抜くのにも時間がかかるしな!あっけらかんと、とんでもない内容が田島の口から飛び出した。そんな事まで胸を張ってしかも大声で言うな!ここをどこだと思っている!?田島の事は嫌いじゃないが、今の台詞、俺も同類だと思われるのは絶対に勘弁願いたい。
放っておけば尚も余計な事をまき散らしそうな口を押さえ込むと、むぐむぐっと奇妙な音がした。「ロープ、ロープ!」と言うように、押さえつけている腕が何度も叩かれる。

「手ぇ離してやるから・・・黙っとけよ」

「・・・・・・(うん)」

こくりと頷かれたので、ゆっくりと離してやった。鼻呼吸だけでは心許ないのか、ふうっと大きく深呼吸すると田島はちょっと肩を落とした様だった。なんとなく小さくなってしまった姿を見て、俺のなけなしの仏心が顔を出す。

「じゃあ・・・花井とでも行ってこいよ」

「花井?」
「元気なかったんだろ、昨日はあいつも大変だったみたいだし、田島が一緒に遊んで励ましてやれば?」
「そっか!それはゲンミツに良いアイデアだよな!」

流石、阿部!と言うなり、あっという間に田島はすっ飛んでいった。流石、野球部。流石、四番。
花井には悪いが、田島の面倒はアイツが一番上手くみれる。と思う。そういや、花井のヤツも次は同じ授業だったよな、と今頃になって俺は思い出した。その事を知らないのか田島は真逆の方向へ駆けていった様な気がする・・・。

「おい、田島・・・」

呼びかけようにも、みるみる小さくなる後ろ姿に溜め息をついて、俺は教室に向かって再び歩き出した。







辿り着いた教室のドアを開けると、花井はドアのすぐ横の席についていた。

「めずらしいじゃん。お前、一番前じゃなくていいわけ?」
「あ、ああ。阿部か」
心なしか青い顔をした花井は、ゆらりと顔を向けてくる。生真面目な性格に加えて、視力があまり良くない為もあって、花井は専ら最前列で授業を受ける事が多い。それが今日に限って一番後ろの一番端。それが「何かあったらすぐに退出できる席」だから、というのは穿った見方ではない様だ。

「・・・おい、大丈夫かよ」
「・・・・・・大丈夫そうに見えるか?」

「全然」

「・・・・・・」

吐きそう。とだけ呟くと、花井は机の上に顔を埋めた。昨日はそんなに飲んでいた様には見えなかったが、そうではなかったのか体調は頗る悪そうだ。

「花井って案外、酒に弱いんだな?」

「阿部に言われたくない・・・」

(酒よりも、むしろその後の水谷や栄口の面倒に振り回されて。自身が布団に入った時はすでに夜中の2時を回っていた。というのは授業中でも沈没寸前の花井の証言による。)

「ご愁傷さま・・・って言ってやりたいとこだけど」

「・・・・・・?」

辛そうにこっちを見上げる花井の前に、講義に使う資料を立て掛けてやった。これで教授のチェックも少しは誤魔化せるだろう。

「寝とけよ。ノートは後で写させてやるから」
「阿部・・・・・・」
ちょっとは俺のせいもあるんだろ?ちょっとじゃなくて、かなりだよ。と言う花井の遠慮がちな言葉は、この際聞き流しておく事にする。始業のベルが鳴って教授が教室に入ってきた。蒼白になりながらも出席だけは答えた後。助かる。と小声で言って花井は本格的に撃沈した。
この調子で、果たして田島の相手は出来るのか?出来なくても、やっちまうんだろうな(そして、さらに潰れるんだろうな)。俺の罪悪感など露も知らない花井は、本の影で安らかな寝息を立て始めていた。

「まぁ、せいぜい頑張ってくれよ」

ノート一講義分では割に合わないかもしれないが。


だって、俺に出来るのはこれ位しかないからな。





(人はそれを“やる気の問題”とも呼ぶ)





←back  □□□  next→