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「あー、本当に腹痛いよね、栄口」
「うん、ほんと、ほんと」
「お前等・・・そんなに『腹痛い』なら、さっさと帰れ!」
「・・・え、か、帰っちゃう、の!?」
「あ・・・・・・」

薄らと濡れたように光る瞳が、此方を凝と見つめている。お前、分かってそんな顔してんのかよ。俺は、昔から三橋のこういう視線に滅法弱い。

「あ!三橋は気にしないで、こんなの阿部の冗談だから」
「そうそう、冗談冗談」
「気にしない気にしない。阿部も、一休み一休み」

水谷も栄口も、相変わらず勝手な事ばかり言ってくれる。それでも、歌うような調子で脳天気に言われると、俺も段々と文句を言うのが億劫になってきた。
どうせ何を言ったところで周囲の非難を浴びるのは俺だし。(多少声が大きいくらい、なんだ。という気もするが。)

「――分かった。分かったから、これ以上はやめてくれ・・・」

決して本意ではないが、ここは最後まで付き合ってやる他ないらしい。俺の言葉を聞いて、三橋の表情が目に見えて弛んだ所為もある。高校時代、コイツのおかげでだいぶ忍耐強くなったし、大学に入ってからは相当丸くなったとも言われてきたが。ほんの10分足らずの再会で、いきなり昔に引き戻されたような気がした。

「阿部くん・・・!」
「――っ!!」
なんだよ、そんな嬉しそうな顔すんなよ。調子狂うから。元気そうな三橋の顔を見ると、矛先を失ってすっかり腑抜けになった怒りの後ろから、ひょっこりと『安堵』が顔を出した。中途半端に開けたままの口から溜め息みたいな音が漏れる。

「はぁ・・・・・・」
「阿部くん?」

相変わらず無邪気なコイツを見ていると、変な力が抜けた。箸を取り、我ながらさっきは大人げ無かった、と反省しながら俺は目の前の料理を取り分ける。
ようやく現れた店員は、氷の事など忘れてしまったようで、追加注文の唐揚げしか運んでこなかったのだ。

「ほら、問題は解決したんだから何か喰ってろ」
「う、うん。オレ、お腹空いてる、んだ!」
「ちゃんと噛んで喰えよ、急がなくても、これ全部喰っていいから」

早速、手渡された唐揚げを頬張る三橋を見ていると、さっき感じた懐かしい感触がじんわりと身体中に広がっていくようだった。「・・・ああ」自然と吐息が漏れて。俺は久しぶりに味わう感触に、ゆっくりと身を任せようとしていた、が

「問題って、阿部が勝手に問題にしてただけだと思うんだけど。ねぇ、栄口?」
「なぁ、水谷?」

ぴーちくぱーちく五月蠅い外野は、まだまだ突っつき足りないようだ。指摘されなくても、それくらい分かってる。と、3分前の反省も忘れて怒鳴りつけようとした鼻先に、芳ばしい香りがした。

「唐揚げ、美味しい、よ!」

阿部くんもどうぞ。と突き出された肉に反射的に口を開けてしまった。「う・・・まい、けど」放り込まれた唐揚げを咀嚼する俺を見て、悪友達は今日何度目かしれない爆笑をぶちまけている。

「・・・・・・笑うな」

気にしないつもりだったが、やっぱり腹が立つ。無駄と知りつつも呟くと、返事は「む、無理で、す」「絶対、無理無理」ときたもんだ――マジで頭が痛い。

「阿部くん。どうしたん、だ?」
「あー、いや、なんでもない。もう一つ唐揚げもらっていいか?」
「どうぞ!こっちは味がちょっと違った、よ」
「あ、ありがと・・・」

「激辛ハバネロ風味だって!」


全部を聞き終わる前に、喉の奥が燃え上がった。辛い、本気で辛い。と、いうか痛いし、熱い。知ってるんだったら、笑顔で勧めるなよ三橋。そもそも、こんな危険物頼むなよ栄口。言いたい事は色々あったが

「・・・み、水くれ・・・・・・」

とりあえず俺に言えたのは、それだけだった。







冷たい水を飲んでも、喉の奥はひりついてなかなか元に戻らなかった。横目でちらと見れば、申し訳なさそうに縮こまる三橋がいる。

「ご、ごめん・・・・・・」
「いーよ、別に。これくらいで謝んなよ」
「・・・そ、そうか、な」
「そーだよ。俺は良いって言ってるんだから、良いんだよ!」

うん、ありがとう阿部くん。眉尻を下げながらも、三橋が少し笑った。自分の言葉を保証するみたいに、俺もちょっとだけ笑ってみせる。

――ありがとう、阿部くん。か・・・・・・。
ふと、思った。なんとなくだが――変わってないな、と。

こうして並んで飯を喰ったり、話をしていると、俺と三橋が三年間1回も連絡を取らなかったなんて嘘みたいだ。
今度会ったら自分はコイツに何を言ってしまうか分からない。
三年前の俺にとってはそれくらいにせっぱ詰まった感情だったはずなのに、そんなものは勘違いだったのか。三橋の、あまりにも嬉しそうな顔と自然な態度に、身構えていただけ損な気分にさせられる。
それとも――それとも、俺達の関係は、こいつにとってそれだけの重みしかなかったのだろうか。そうだとしたら、と沈みかけた思考を振り払う。そんな詰まらない事考えて、今更どうするつもりなんだ。
今、三橋は、こんなに楽しそうに笑っているんだ。

――俺だって、終わってしまった事に囚われるほど、愚かなつもりはない。






□□□






高校二年の夏の終わりから卒業するまでの1年半。ぶっちゃけ俺と三橋はつきあっていた。友人としてではなく、それ以上という意味で。
まさか自分が男とそういう関係になるとは思っても見なかったが、現実はそうなってしまった。保護欲が高じてなってしまったのか、それとも元々俺にその気があったのか。出来れば前者だと思いたい。
だが、付き合ってみたらこの関係は、驚くほどしっくりと俺に馴染んだ。それはもう、野球をするのや、飯を喰うのや、布団で寝るのと同じくらいに。(尤も、寝る時と授業中以外は殆ど一緒にいたのだから当然なのかもしれない。)
告白は、なんと俺からで(なんでだろう)。断られたらどうしようとか、もう一緒に野球出来ねぇかもとか本当に散々悩んで、いっそ一生抱えて生きていくか。なんて柄にもなくセンチな事まで考えた。臆病だっただけかもしれないが。
だが、三橋と野球をする、バッテリーを組む、この関係にそれ以上の意味を求めたら、許されないような気がしていた。






『――好きだ。』

それなのに、ある日、うっかり口を滑らしてしまったのだ。本当に、なんであの時、あんな事を口走ってしまったのか、今でも信じられない。それだけ煮詰まっていた、といえば簡単だが、俺の動揺はそう簡単には収まらなかった。

『・・・阿部くん?』
『あ・・・って、い、今の、は』

一生の不覚なんて甘いモンじゃない。どうすればこの場を誤魔化せるか(実はこの雑誌の巨乳グラビアアイドルが好きなんだとか云々)それこそ試合の時以上に脳みそをフル回転させて考えたけど思いつかない。
仕方がないので、水谷とか田島が飛び出してきて「阿部、なに冗談言ってんだよ!」とか突っ込んでくれないかとかなり本気で期待したが、こんな時に限って彼奴等も出てこない。(とっくに帰宅してたから当たり前だ。)くそ、彼奴等、役に立たねぇ。とわけの判らない八つ当たりをかましていると、三橋の手がそっと俺の手に触れた。

『お、れ・・・も』
『え・・・み、はし?』

心臓が跳ね上がって、そのまますごい勢いで走り出した。俺の方からは、俯いてふわふわの旋毛しか見えない。「あ」とか「う」とか三橋みたいな意味不明の言葉が聞こえたと思ったら、自分の声だった。

『マジかよ・・・・・・』
『ほ、本当で、す・・・』

掠れた声で告げられた内容を信じるのには、相当の勇気がいった。でも、俺は信じてしまった。

『す、げぇ・・・・・・』

一生の不覚どころか、一生分の幸運がどかんと頭の上から降ってきたみたいだった。目の奥がじわっと熱くなる。「マジで・・・・・・」でも、次の瞬間疑問が湧いた。
現実って、こんなに都合良くいくもんなのか。
三橋も何か勘違いしてないか。
もし、コイツの言う「好き」がlikeだったら(俺はloveだけど)目も当てられない。手を離せば一目散に浮きあがりそうになる感情を必死で抑えて「どういう意味で言ってんだよ」と尋ねたが――返事はなかった。

――あの時は、もう駄目かと思ったよな・・・。

やっぱり、と絶望的な気分で項垂れた俺の視界に、三橋の首筋が映った。そこは、あまり日に焼けていないぶん他の場所に比べて白いのだが、僅かに空いた背中から耳元の辺りまで真っ赤に染まっている。

ひょっとして、と胸が騒いだ。

ひょっとして、まさか、本当に――?

『三橋・・・・・・』

震える手で抱き寄せると、薄い身体はすっぽりと腕の中に収まった。触れた部分がひどく熱くて、掌に汗が滲んだ。それが俺達の始まりだ。






こうして、晴れてめでたく付き合うことになった俺達は、ままごとみたいな恋をした。

帰り道でこっそり手を繋いだり、誰もいない部室でキスしたり。
初めて握った三橋の手が緊張のし過ぎて冷たかったことや、初めてしたキスがひどく柔らかくて感動したなんて、昨日のように良く覚えている。
俺を見て、嬉しそうに笑う顔。困る顔。時々びくつくところは変わらないけど、毎日、本のページを捲るように新しい表情が増える。
関係が続くうちに三橋も慣れてきて、拗ねたり、怒ったり、部活ではあまり見せない顔も見せるようになった。


そんな風に付き合っていた俺と三橋だが、最後の一線だけは、なかなか越えられなかった。
理由?理由なら色々ある。やり方を知らない。調べても良く分からない。(これは後で解決した。ネットを使えば本当に色々な情報が手に入るからな。)そして、三橋の身体に負担がかかる。
特に最後の奴は俺がアイツの捕手である限り、四六時中ついて回る問題だったから重大だ。知識は後付でいくらでも調べられるが、やっちまってから手遅れでした。っていうのは想像だけでも怖すぎた。で、とりあえず色々調べたけど、不安は消えなかった。(こればっかりは誰にも聞けない問題だったから)

好きな奴とやりたいのと、大事にしたいのと狭間で俺は大いに苦悩した。

で、散々悩みに悩んだ末、一つの結論に達した。
三年になって引退したらやっちまおうと。そうすれば翌日の練習や試合の事で悩んだりする必要もない。無理をする――させるつもりも無いけれど、不安要素が少ないに越した事はない。
今思えば我ながら馬鹿な考えだが、その当時はそれがベストだと本気で思っていた。それどころか、勝手に決めたその目標を人参よろしく(これまた勝手に)自分の目の前にぶら下げて、俺は馬車馬のごとく頑張った。
部活も勉強も。もしかしたら、一番充実した期間だったかもしれない。最後の夏大を前に、俺の頭の中は野球と三橋の事でいっぱいだった。







それ以外の事が入り込む隙間なんて、無かったはずだった。







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