□□□先生の彼氏□□■5





目が覚めてから、身体の節々が酷く痛むのに気がついた。
酒が残っているのか、僅かばかりふらつく足のまま鏡の前にたつと、唇の端に血が滲んでいるのが判った。
「ちくしょー、あんの野郎・・・。好き勝手やりやがって・・・」
酔っていたとはいえ、アルコールは大分抜けていたはずなのだ。文句は相手より、むしろ昨晩の自分に言ってやりたい。
(あんな子供(ガキ)にやられるなんて・・・、ったく、だらしねぇ・・・)
乱暴に口元を拭い、洗面台に頭を突っ込んで冷たい水をかけた。跳ね飛んだ水が、昨日から着たままのシャツに点々と染みを作る。

記憶があやふやならば(身体に残る痕はともかく)なんとか自分にもごまかせたかもしれないが、現実というものは、そう簡単には問屋を卸してくれないらしい。

「く・・・、っそー・・・。」
昨晩の記憶は、ほぼ完全に残ってしまっていた。
掴まれた手首の痛みだとか、重ねられた唇の感触だとか、―――何よりも、何よりも一番まずい(そして信じたくない)のは、そのどれもが意外な事に、・・・それ程嫌悪感を伴っていないという事実だった。

――それから導き出される答えは、非常に単純だが受け入れがたい・・・・

「俺って、そういう趣味があったのかあぁーっ!」

濡れた髪を掻きむしって、吾郎は洗面台の上で呻いた。賑やかな音をたてて、台の上からコップや歯ブラシが転げ落ちる。思わず顔を上げた拍子に、鏡に映った首筋で残る痕が何なのかなんて、改めて確認したくもなかった。
(この場合、冷静に考えれば、そういう行為を仕掛けた寿也にこそ問題がありそうな気がするものなのだが、そんな経路を辿れないくらいに彼の頭の中は混乱をきたしている。)

「やっぱ、生徒に手を出したって事になるのか、俺・・・」

相手は未成年だしな・・・。(しかも男!)等と考え出せば、二日酔いの頭以上に気分は重たくなってくる。『好奇心は猫をも殺す』という諺もあったが、自分の場合は『好奇心は貞操をも無くす』結果になってしまった・・・。格好悪ぃ。とぼやいた拍子に、前髪から滴った水が頬を伝い口に入ったが、無味のはずの液体がやけに苦く感じられる。

「学校・・・、月曜から、どんな顔して行けば良いんだよ・・・」

教え子の冷たく、そして秀麗な顔を思い浮かべて、鏡の中の教師はますます深く項垂れたのであった・・・。


□□□

月曜日、学校に行ってみれば隣にいるはずの樫本は空席だった。そういえば、と見回せば職員室の予定表の樫本の欄には『出張』の二文字が書き込んである。
(そういや、歓迎会の時にもそんな話してたっけ・・・)
思い返せば、そもそもの原因はあの歓迎会にあったのではないか?あんな場所で、あんな時間にやらなければ、自分はこんな目に・・・。早抜けした事など、すっかり棚に上げて心の中で幹事をどつき回していると、本日も賑やかに始業のベルが響いてきた。

(そういう訳で、今週のHRを始めとした学級関連の仕事は必然的に吾郎の担当になった。)

「ほら、お前ら。席につけよ」

週初めのざわついた雰囲気の教室で出席を取り始めると、すぐにその空席に気がついた。
「えっ・・・と、そこは、確か・・・」
佐藤くんの席でーす!と付近の生徒から声が飛ぶ。その名前を聞くと、我ながら情けない事に教卓の下で膝が微かに震えた。
(落ち着け、・・・落ち着くんだ、俺!!)
出席簿の上の文字を、一瞬睨み付けると、何気ない表情を作って『欠席の事情を知っているヤツはいないか?』と尋ねみたが。詳しい事情を承知している生徒はいないようだった。同じ野球部員の三宅や泉に聞くと『先週末は実家に泊まりに行った』という事くらいで、欠席の事情はやはり知らないらしい。こうなってしまえば、後は寿也からの連絡を待つしかないのだが、その待ち時間すら今の吾郎には何故かもどかしかった。

「じゃあ、お前らしっかり授業を受けるんだぞ」
樫本先生がいないからって、さぼるなよ。と内心のもどかしさを押し隠しつつHRの終わり告げた時、1時間目を知らせるチャイムの音が鳴った。



「―――無断欠席、って事なのか?」

職員室の机の上で、出席簿と睨めっこをしながら呟いてみたのは、朝の時点では寿也の方からは何の連絡も無かったからだ。寮生である寿也は、同じ野球部員である三宅達に話を聞くと、週末は実家に帰っている事が多いらしい。でも、今日に限っていえば、実家からも連絡は来ていなかった。
ただ、学校での『佐藤寿也』から考えてみれば、無断欠席というのは非常にらしくなかった。
「・・・なんだって言うんだよ」
寧ろ、俺の方が休みたかった。等と八つ当たり気味に名簿にチェックを入れていると、隣席の国語の教師から声がかかる。


「佐藤のやつ、体調不良、ですか?」
吾郎がHRに行っていた間に、寿也から連絡が入ったという。『風邪みたいですよ。』と心配そうに伝えてくれた教師に礼を返すと。吾郎は、今度は別の目的をもって名簿を捲り始めた。








気がつけば、吾郎は鞄一つを持って一軒の家の前に立っていた。

夕暮れにはまだ少し間があったが、変わりやすい春先の陽気は、今日は些か後ろ向きらしい。薄手のコートを刺す冷気に肌が震えた。
(いきなり来て、あいつ、どんな顔するのかな・・・。)
勢いで来てしまったものの、いざ目の前にすると次々と躊躇が湧いてくる。バイト先に行った時でさえあんな目にあったのだ、自宅まで来たら・・・。(何で来たかと言われれば、勢いとしか説明はつかないし、第一家庭訪問にも時季外れだ。)
とりあえず、報復(?)の恐ろしさには目をつむって、吾郎はある一点めがけて指を伸ばした。

(ええい!なるように、なれ!!)

“ピンポーン”

『はい、どちら様ですか?』

『あの、学校で佐藤君の副担任をしている・・・』


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