□□□先生の彼氏□□■4






入った店から、さらに路地を何本か離れた行き止まりを指定された。
この通りの店は、今は殆どが営業をしていないらしい。街灯の明かりに照らされた店も、電飾は消え人の気配もなかった。
(なーんか、ややこしい事になっちまったなぁ)

人気のない行き止まりを、手持ち無沙汰に歩き回りながら、吾郎は先程の事を思い返していた。





店の奥から出てきたのは、間違いようもなく寿也だった。
糊のきいた白いシャツに黒いベスト。少し光沢のあるブラックタイ。いたってシンプルな格好だが、造作の整った寿也が着るとひどく大人びて様になっている。

「・・・・・・なんで」
驚きは一瞬だけで、先に体勢を立て直したのは寿也の方だった。

「なんで、貴方が、ここにいらっしゃるんですか?」

見とれるような笑顔と丁寧すぎる応対に、吾郎は思わず口を噤んだ。

(まさか、店の外で見かけて追っかけてきました。なんて言える雰囲気じゃねぇよなぁ。)

『先生』と言わずに『貴方』と呼ばれた瞬間。自分に向けられる瞳の奥の光は、最早、絶対零度の域に達していたと言い切れた。―――表面上は実ににこやかなのだが。

「えっと、たまたま入ってみたらだなぁ・・・」

「そうですか、たまたまですか」
それは、すごい偶然ですね。とさらりと返す口調は自然で、視線の剣呑さを微塵も感じさせない。そして、さりげなくカウンターの水気を拭き取る仕草の淀みなさは、寿也にとってこの仕事(バイト)が手慣れた物である事を教えていた。

「あ、ああ、すごい偶然だな・・・」

「ええ、そうですね。」
さっきから極上とも言える笑顔の大盤振る舞いだが、吾郎の緊張感はますます高まるばかりで、無意識に汗ばみ始めた手のひらをジャケットの裾で拭ってしまう。

「それにしても、カクテルの味はお気に召さなかったですか?すすんでないようですが。(にっこり)」

(・・・こいつ、目が笑ってねぇよ・・・)

新しい物を作りましょうか?と寿也が尋ねてくる間に、彼に声をかける常連と覚しき客がちらほらいる。

「・・・お前、呼ばれてんぞ」

「はい?(にっこり)」

寿也の笑顔と接客は、この店では人気が高いのだろう。その事を伺わせるように、カウンターを挟んで向かい合う二人に対して、向けられる視線は少なくなかった。それでも寿也が、吾郎の目の前から動く気配はない。
そんな中様子のおかしさに気づいたのだろうか、最初に見た初老の男が奥から心配気な顔で寿也を手招きした。
『佐藤君、何かあったのかい?』
声は聞こえなかったが、唇の動きでなんとなくの意味は見てとれる。それに対しても、寿也は動じる事なく、相変わらず綺麗な笑顔で何事かを返していた。大方、知り合いに会ったとか(少なくとも嘘ではない)言って、話を適当に纏めているのだろう。

(なんか、可愛い気のないヤツ・・・)

さして動じた所も見せずに対応する寿也に、吾郎は立場上は不謹慎かもしれないが、密かに感心してしまった。ただ、その落ち着きが気に入らない。


結局その後も、ゆっくり呑める状態などではなく、なかば逃げ出すように吾郎は店を出た。
ただ店を出た時に、一片の紙が彼の掌の中にあった。会計の折りに釣りと一緒に手渡された物だ。

『一時間後。この場所で。』

簡単な地図も添えられたそれを、寿也はいつの間に書いたのか。几帳面そうな字は学校で見る物と変わらない。


そして、時間をつぶせるめども見つからなかった吾郎は、そのまま約束の場所で寿也を待つことになったのである。


□□□



春の陽気を感じ始めたとはいえ、夜はまだ寒い。酔いが覚めてきた身体には風が冷たかった。

「おせぇな、佐藤のやつ」

自分で時間まで決めたくせに。と、ぼやきながら吾郎が辺りを見回して、具合良く置いてあった木箱に腰を下ろす。
(こんなに待つんだったら、缶ビールの1本でも買ってくりゃ良かったな。)
寒さと暇をもてあましていた所に名案が浮かんだ。

「そっか!買ってくりゃ良いんだ!!」
「何を買って来るっていうんですか?」
そうと決まれば、飲み直しだ、とばかりに腰を上げたところに声が掛かる。振り返れば、私服に着替えた寿也がそこに立っていた。

「お・・・、佐藤・・・」

「本当に、待ってたんですね」
半ば信じられないというか、呆れた様な口調で寿也が呟いた。

「な、お前がここで待っていろって、言ってきたんだろ」
勝手な事言いやがって。寿也の態度に喰ってかかった吾郎だが、あまり相手にされる風でもない。睨み付けると鬱陶しげな視線を向けてきたが。次の瞬間、その視線すら造り物めいた笑顔の下に隠されてしまった。


「それで、茂野先生。おっしゃりたい事はなんですか?」



確かに綺麗な笑顔だと思う。
初対面の時にも感じたが、寿也はとても綺麗に笑って見せる。ただ、それは吾郎の神経の何処かを酷く苛立たせた。

(なんか、嘘くさいんだよなぁ。こいつの笑顔)

確かにどの教師に聞いても寿也の評判は良かった。成績も良ければ、友人も多い。問題行動なんて聞いたためしがなかった。
ただ、聞けば聞くほどに噂の『佐藤寿也』と、吾郎が感じる『佐藤寿也』という人物は遊離してゆく一方だった。
もし、人づてに聞いた彼が正しいというならば、

(じゃあ。今、俺の目の前にいるこいつは誰だ?)

―――この『綺麗』な、けれど冷たい顔で笑っているヤツは。


「俺が言いたいのはな、・・・言いたいっていうか、聞きたいっていうか・・・」
アルコールの残滓のせいか、もたついた頭では言葉が上手く纏まらない。上手く出せなかった言葉尻は、寿也の前では散り散りになって消えてしまった。

「今更、何を聞くっていうんですか?僕の働いているところを見たじゃないですか」

たしかに、海堂高校ではバイトが禁止されている訳ではなかった。しかし寮生が、しかもこんな時間帯に働いている事など許されるはずがない。寿也にしてみれば、学校から処罰の対象になるような秘密のバイトを、不覚にも教師に発見されたというところだろう。
責めるつもりはなかったが、そんな事を説明したところで到底納得してくれそうな雰囲気ではなかった。興味本位だったなんて、尚のこと言えそうもない。

「いや、別に俺は“働くな”なんて言うつもりはないんだけど・・・」
なんとか絞り出した言葉は、やはり彼のお気には召さなかったらしい。いつの間にか寿也の表面から笑顔が消えて、見覚えのある冷めた視線だけが自分に向けられている。

「そんな言葉、僕が信じるとでも思ってたんですか?」

綺麗な顔には迫力があるという事を、吾郎は今初めて思い知らされていた。思わず後ずさると、がたんと音がして靴の踵が先程の木箱にぶつかった。

「でも、俺は本当に、そんな事を言うつもりで待っていた訳じゃ・・・」

「信じない、そんな言葉」
貴方の言う事なんて―――

ゆっくりと近づいてくる寿也の瞳の中で、自分の顔が奇妙に歪んで見える。

「佐藤・・・」

言いたくても、言えないようにしてあげますから―――

見つめた綺麗な唇から、氷の欠片のような言葉が零れ落ちた。




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