□□□先生の彼氏□□■3


歓送迎会の帰りだった。

同じ社会科を担当する教諭連を紹介する趣旨で組まれた歓迎会は、あっという間にただの飲み会へ変貌していた。
空のピッチャーの数が増えるとともに、場の雰囲気は砕けるというよりもだらけたものになっている。吾郎にしてみれば飲まされる覚悟はしてきたものの、結果は拍子抜けする位の量で済んだ。思いがけない結果に安堵はしたものの、別の色合いの溜め息をついてしまう。

(それにしても『教師』って、そんなにストレス溜まる仕事なのかよ・・・。)

隣を見れば、さっきまで管を巻いていた樫本も、座敷の縁を枕に心地よさ気な寝息を立てている。
どうしようかと逡巡したのも束の間「この機会を無駄にする事は無い」と思いつき、さっさと退散する事に決め込んだ。時計の針が日付を越えるにはまだ間がある。アパートに戻るにしても、一人で飲み直すにしても時間は充分だった。

「俺、ちょっとお先に失礼します。」
立ち上がりながら、教科主任に軽く頭を下げると。相手はすっかり酔いが回っていたようで、鷹揚に頷くついでに新しい酒を追加注文してきた。

(くっそ、店のヤツと間違えんなよ!!)

店員と間違われたのも面倒だったが、これで抜け出せると思えばお易いご用だ。
上着を引っかけるとすれ違ったアルバイトに声をかける。適当に注文より多い量を頼めば、しばらくは注文しなくても場はもつだろう。
オーダーを厨房に通す威勢の良い声を聞きながら、吾郎は店を出た。


居酒屋の赤い看板の下を抜けるとすぐに目抜き通りだ。
週末のこの時間であれば、まだ人通りも多い。街灯や看板のネオンで、喧噪に溢れた道が昼間のように照らされている。


騒がしい空気から離れたくて、吾郎は適当な路地を奥に曲がった。
一本奥に入ると、街は驚くほど静かになる。ぼんやりと気の抜けた明るさの街灯が、ぽつぽつと立っていた。
賑やかに飲むには不向きかもしれないが、一人で飲み直すにはちょうど良い気がして。並んでいる店を流していくと、少し先のドアが開いて人影が現れた。
空のビール瓶の入った箱を卸して戻ろうとする姿は、街灯の下で可視領域ぎりぎりだ。

人工灯の白けた光の照らしたその横顔に、吾郎は確かに見覚えがあった。


「あいつ、なんでこんなとこに・・・?」
時間も場所も、高校生には少しも相応しくない。加えて、野球部に所属しているという事は、寮生活を送っているということで。どう考えても、こんな場所に居るとは考えられない相手だった。
なんとなく面倒くさい匂いを感じ取ったのも確かだったが、それでも彼の後ろ姿を追わせたのは、教師としての自覚というヤツよりも、単純に好奇心が勝っただけだ。
最初の印象からそうだったが『優等生』という建前の奥に隠し込まれた何かが、自分の興味を惹くのだろうか。

(まぁ、これも教育的指導ってとこか。)

ドアの向こうに消えた背中を、吾郎の足は考えるよりも早く追いかけていた。


□□□


照明の落とされた店内は、木製のカウンターにテーブルが2席ほどの小さいバーだった。少し古いが感じの良い店で、その為か席も適度に埋まっている。一人で飲むには、おあつらえ向きといったところだ。

「どうぞ、おかけになって下さい」
声を掛けられた方を見ると初老のバーテンダーが一人でカクテルを作っている。壁に並べられた洋酒の瓶とグラス類が淡い光を反射していた。

「ああ」

勧められたスツールに吾郎が腰掛けると。うっすらと白く塩をふいたナッツを、白い陶製の小皿に盛って勧められた。マホガニー色の磨き込まれたカウンターに、柔らかい白が映えて自然に心を落ち着かせる。
少し間をおいてから飲み物の注文を訊かれて、吾郎は『まかせるから、何か甘くない物を』とだけ頼んだ。

(とりあえず、追っかけて来たのはいいけど、これからどうすっかな・・・。)
突き出しのアーモンドをかりりと囓りながら店の中をぐるりと見回しても、目当ての人物はいなかった。店の人間に直接尋ねるのも得策とはいえない。

「お客様、どうぞ」
「お、さんきゅ」

いつの間にか目の前に、出来上がったカクテルが差し出されていた。

「・・・とりあえず、飲むか」
(ま、いっか。もともとの目的は、一人で飲み直す事だったからな)
そう考えなおした吾郎が、指先に付いた塩を舐めた時だった。

「交代入ります」
(今の声・・・!)
店の奥で、聞き覚えのある声がした。



「い、痛ってぇ!」

「だ、大丈夫ですか!お客様!!」
舐めようとした瞬間と、声が聞こえたタイミングが合いすぎて、思わず指先を噛んでしまう。漏れた声に反応して、店の奥から店員が飛び出して来た。

(あー、なんて格好悪ぃ・・・)

「いや、大丈夫だから・・・」
軽く手を振って、出てきた店員に問題無い事を告げようとした吾郎は、そのまま固まってしまった。

「お前・・・」

それは、目の前の人物も一緒だった。吾郎が探していた、彼の教え子。

「・・・・・・先生・・・」

佐藤寿也がバーテン姿で目の前にいた。




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