□■□Ask, and it shall be given to you;02□■□


寿也が自分の感情に気がついたのは、中学生の頃だった。
幼い頃は内気だった彼にとって、一つ年上の兄は明るく強く、憧れの象徴の様な存在だったが。そこに憧れとは違った色が付いていた事に気づいたのが、ちょうどこの頃だったのだ。

切っ掛けは、父親である英毅が球団間のトレードで九州から神奈川に戻った事にある。元々、神奈川で生活をしていた一家だったので、戻る事には殆ど問題は無かった。九州に移動した時に比べて、旧友達も残るこの土地は、吾郎や寿也にとってもすごしやすい。何よりも、野球のレベルにおいても、名門と呼ばれる高校の多いこの土地は二人の将来にとって好ましいものに思えた。



こうして地元の中学に転入し、二人は揃って野球部に入部した。吾郎がリトル時代の友人達と再会したのもこの時で、――その中に『彼女』がいた。



肩にぎりぎりつかない位の髪をして、活動的な黒い瞳の彼女を、寿也は昔から知っていた。

兄の同級生。
兄の影響でリトルに入り、彼と一緒にプレーしていた。

再会した時は、吾郎に対してひどくつっけんどんな態度をとっていたが、それがどんな感情から来る物なのかが、寿也には容易く理解できた。
理解できたが、寿也の心は、自分で思ってもみなかった程に苛立った。
そして、それは、彼女の好意に気づかない兄の鈍さに対するものではなく、自分の『吾郎』を、他人である彼女が、そんな眼で見つめる事が許せないのだ。という事に気がつくのにはさして時間はかからなかった。


寿也にとって、この感情がただの独占欲などではない事は、最初から解っている。一般的には許されない感情であるという事も。兄であり、同性である二重の枷は、決して消し去る事はできない。
受け入れてもらえる望みの無い感情を抱えて、兄を慕う弟の振りをする。
自分の腹の底で、のたうつような黒い蛇を押さえ込む日々が続いた。こんな毎日を過ごすくらいなら、家を出ようかとまで、悩む時もあったが、ついにそれが弾けたのは、寿也が中学三年の夏だった。



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夜になってから降り始めた雨が、窓ガラスを叩いて筋を作る。気温の高さは雨のおかげて落ち着いてきたが、代わりに湧き上がった湿度によって、部屋の中は温い水で満たされているかのようだった。
カーテンの隙間から入る街灯の光で、寿也の下にいる吾郎の顔が照らされる。しかし、雨にけぶった光では、細かい表情まで読み取る事はできなかった。

「兄さん・・・・・・」
視線を合わせる事が恐ろしくて、首筋に深く顔を埋める。押さえ込んだ身体がびくりと反応した。吾郎の手首を掴んでいた自分の手も、無意識のうちに、逃がすまいとするかのように力が入ってしまう。

何故こんな体勢になっているのか、記憶は酷く曖昧だ。

切れ切れに覚えているのは、強い衝動に駆られて吾郎に口づけた事と、その後にリビングのソファの上に押し倒した事くらいだ。
口づけた時も、押し倒した時も、吾郎は全力で抵抗してきた。キスは恋人達の甘いそれとはほど遠い、噛み付くような奪う物になり、剥がすようにして脱がせた服は、ぼろ切れのように放り投げられていた。お互いの、荒く息をつく音だけが部屋に響いている。
「兄さん・・・、兄・・・さ、ん」
渾身の力を込めて押さえ込み、首筋から、はだけた胸にかけて何度もキスをした。薄い皮膚の上に浮き出る、朱い痕だけが自分に応えてくれる。
頬を寄せると、自分と同じ位に早く上下する胸が愛おしくて、一番高い位置にある飾りに舌を這わせて歯を立てる。

「・・・っ、く。・・・ぁ」
吾郎の噛み締めた唇の端から、声が漏れた。その声に、寿也が思わず胸から顔を上げると、一瞬絡まった視線は、吾郎の方から外された。
「・・・・・・。」
それが当然の事。と、頭で理解は出来ても、寿也の全身の血の気は、一気に下がるようだった。どんなに言い訳をしても、薄暗い部屋の中で、悔しげに歪んだ横顔が真実だ。
止めるべきだ、と叫ぶ声も聞こえたが、今ここで手放したら、彼が自分の手の中に落ちてくる事は二度と無い―――





「おい!・・・おい、寿也!!」
ぴたぴたと頬をはたかれて、寿也の意識の焦点が現実に戻った。
「お前、この最中に何考え事してんだよ!」
「ご、ごめん。ちょっと、ぼうっとしちゃって・・・」
随分失礼な事言いやがって、と身体の下で吾郎が口を尖らせる。拗ねる口調に肩の力が抜けて、寿也は自分が随分と緊張していた事に気がついた。

「ごめん・・・って、ちょっと、兄さん!!」
自分を包み込む吾郎の部分が、きゅうっと締まるのがわかった。入れたばかりだから、しばらくは動かないでおこう、という思いやりは伝わっていないのだろうか。
奥の歯を喰い締めて、急激な快楽の波をやり過ごすが、耐えきれずに零した熱い息に、吾郎が満足げに眼を細めた。
「へへっ、今のは効いたろ?」
そう言いながらも、熱で潤む瞳は、吾郎の感じている感覚が寿也に負けていない事を教えてくれる。ほんのりと朱く染まった表皮が触れ合って、焼け付くような感情の高まりが全身に染み渡った。

「そんな事して、本当に最後まで我慢できるの?」
「お前だって、余裕なんてないだろ」
あくまで強気で通す意志を尊重して、抱きしめた拍子に震えた腰には、気がつかないふりをした。
正面から繋がったままで、ゆっくりと黒い髪を指で梳き、覗いた耳の端に口づける。
「ひゃっ・・・っ」
首を竦めるのは、そこが感じすぎるからだ。だから事の最中に、その場所に触れられるのを吾郎は嫌がった。(もちろん、そんな事は綺麗に無視させてもらっていたが。)
案の定、抗議をまくし立てようとする彼を、寿也は自分の唇で塞いだ。
「ふっ、くっ・・・、ん。ん」
鼻に抜けるような甘い音が、耳に入ると。音は快感に変換されて、腰のあたりがずきりと、重くなる。絡めた舌で、歯列を割り口腔を探った。
執拗なまでにキスにこだわるようになったのは、他でもない吾郎のせいだ。
触れるより、貫くより、唇を寄せた時に見せる彼の表情が、自分を一番欲しがっているように見える。

「くっ、んっ、と・・・し。とし・・・や」

まだ、快楽に支配されきらない彼に欲してもらいたい。彼に『茂野吾郎』としての意識が残っているうちに。






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