【I love blue spring!!】







【ああだこうだで、数日前の話】


慌ただしい足音が聞こえて、俺が廊下に面した窓に目をやると、てんこ盛りの荷物を抱えたクラスメートが走っていくのが見えた。
「おい、あいつら何やってんの?」
隣にいた花井に問いかけると、少しばかり呆れた視線を向けられた。なんだよ、そんな目で見られる程俺は馬鹿な事聞いたわけ?眉間に盛大に寄った皺を見て、近くにいた水谷が吹き出した。
「あ、阿部、さっきの話聞いてなかったの?」
「“さっきの話”?」
え、マジで判んないんだけど。何か大事な話とかあったっけ?と答えると、水谷も花井も二人同時に目が丸くなる
「え!?阿部、本当に解らないの!?」
「そういやHRで手とか挙げさせられた気すっけど・・・」
「お前な・・・、本当に聞いて無かったんだな・・・」
改めて溜め息をつかれても仕方ない。だってHRなんか適当に聞いて、適当に手ぇ挙げてれりゃ充分だろ。さっきはちょうど今度の試合で使えそうな配給の組み立てを思いついたばっかりだったから、それを練り直す為の時間として有効に使わせてもらったんだけど。
「聞いてなかったからって、問題になるわけ?」
「いや・・・でも聞いてなかったからって、文句言うなよな」
「はぁ?何だよ、それ」
花井の言葉には、どこか諦めたような雰囲気が漂っていた。だが、横にいる水谷は無駄に浮かれた表情をしている。この時点で、俺の中では嫌な予感がむくむくと頭をもたげつつあった。
「えー、阿部もやったら超楽しいと思うんだけど」
「あのな、阿部・・・」
「あ、花井、ちょっと待って」
聞きたくない。理由は判らないけど、とにかく聞きたくない。花井の疲れた顔とか、水谷の浮かれた顔とか、どっちにしても俺にとっては良い話じゃないのはほぼ確実だろう。だが人一倍責任感の強い主将はゆっくりと首を振った。

「阿部、諦めろ。もう決まった事なんだ」

重々しく開かれた唇が、俺の忍耐のカウントダウンを告げるゴングの音と重なった。



□□□




「へーっ、それで7組って執事喫茶やる事になったんだ!」
「そうなんだよね。なんか一部の女子が超盛り上がっちゃってさ、衣装とかも色々揃えてくれるって大張り切りなんだよ」
「え、じゃあ、水谷も何か着るの?」
栄口の質問にoh,yes!などと得意げに答えているあの顔に、出来ることなら一発くれてやりたかった。実際にそうする訳にはいかないから、俺の出来た事といえば乱暴にロッカーの扉を閉める事くらいだったけど。
扉が派手な金属音をたてると、隣にいた三橋がびくんと跳ねて、伺うようにこっちを見る。
「何、三橋なんかあんの?」
「ひっ・・・あ、あ・・・と」
ボタンを外しかけていた三橋の手が、あたふたと無意味な動きを繰り返した。鳶色の睫毛が忙しなく瞬いて、やべ、怯えさせた。と気づいた俺がフォローの言葉をかけようかと思った時、脇から伸びてきた腕が三橋の首根っこに勢いよく回される。
「三橋はさ、阿部もやるのかって聞きたいんだよ!」
「ふひっ、た、じまくん!」
なんだよ、その嬉しそうな顔!俺がせっかく聞いてやろうと思ってたのに、田島にフォローされんのがそんなに嬉しいのかよ!伸ばしかけていた俺の手は、行き場を無くしてだらりと身体の横にぶら下がる。だが「後で覚えておけよ、絶対にこの埋め合わせはさせてやるからな」と俺が理不尽な怒りを燃やしている間にも、田島と三橋は俺の答えを待っていたらしい。
「なーなー、阿部もやるんだろ?」
「あ、阿部くんも、やる、の?」
「はぁ?何、言って・・・」
何、何んだよ!二人揃ってその期待に満ちた目は?田島はともかく、三橋までそんなキラキラの目で俺を見る事は滅多に無い。何をそんなに俺に期待してるってんだ?背筋に薄ら寒いものを感じながら俺は後ずさった。なんかまたすげぇ嫌な予感がするんですけど・・・。
「何って、あれだろ!花井とか水谷とかとおんなじヤツ!」
「うわ!それ以上言うな!黙れ田島っ!」
とりあえず田島は黙った。田島は、だけど。
「阿部くん、やるんだよね!」
「ちょ、三橋っ!」
だがもう一人、三橋の口は止まらない。そりゃお前には、まだ黙れなんて言ってなかったけどさ、空気くらい読んでくれよ。しかもなんだよ、こんな時ばっかりすらすら喋んじゃねぇよ、と突っ込む暇さえ無かった。

「執事喫茶で、執事やるって聞いた、よ!」

楽しみだね、フヒッ。といつもの変な笑顔まで付けられては、俺はがっくりと肩を落とすしかなかった。





三橋の発言の後、部室の中はなかなかに賑やかな事になった。栄口や巣山からは頑張れよ、と肩を叩かれ。沖や西広からは「よくやるな、すごいよ」と訳の判らない尊敬の言葉を贈られて。泉は関心なさそうな顔してたくせに、すれ違いざまにちょっと笑ってたのが判って、そんな些細な事までが俺を結構へこませた。

「だってさー、阿部が手挙げたんだから仕方ないじゃん」
「俺だって、あれが執事役の立候補だって思わなかったんだよ!」
「だから話くらい聞いておけって、いつも言ってるだろ・・・」
なんだか近くにいる水谷が手を挙げている気配があったから、一緒に手を挙げただけなのに、それがこんなハメになるなんて俺が判る訳無いだろう!
「じゃ、花井はなんで手挙げたんだよ・・・」
水谷が手を挙げたのは理解出来る。単純におもしろそうな事には、すぐ飛びつくタイプだからな。だが花井はそうじゃ無い。だが、すっかり苦り切った顔で答える花井の言葉を聞いて、俺は更に後悔の度合いを深める事になった。
「一蓮托生って言われたんだよ・・・」
「はぁ?何それ」
「野球部3人中2人がやるのに、一人だけ役無しなんておかしいからだとさ・・・」
どうやら(一部の)女子に押し切られたらしい花井は、俺以上に疲れた溜め息を一つついた。




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【そんなこんなで、当日の話】



「阿部くん、阿部くん。タイ。タイ忘れてる!」
「あ、わりぃ」
手渡された黒いタイを首に巻く。するりとやけに手触りの良いそれは、文化祭なんかで使うにはもったいない様な気さえする。シャツも真っ白でノリがきいているし、ズボンもきちっとプレス済みの物だ。
これを人数分揃えるのって、相当に大変だ。文化祭の企画くらいでここまで本気を見せるこの組の女子も怖いけど、水谷なんかは大喜びで着てるから、あんまり気にしないでおく方が賢いんだろうな。

メニュー、確認すんだ?受付誰がやるの?開店直前、頭の上を飛び交う喧騒から逃れるように教室を出ると、ぽんわりとした茶色い頭が立っていた。

「阿部くんっ!」
「お、お前、なんでここにいるんだよっ!」
全くの不意打ちだったので、心臓が思いっきり跳ね上がった。いや、マジで痛いくらいにばくばく言っている。
「水谷君が、阿部くん着替え終わった、から、見においでって、メールくれた、んだ」
「あんの・・・」
「あ、阿部くん、格好良いね!!」
「え・・・あ、、そ、そうか?」
クソレフト、という言葉はなんとか飲み込んでおいた。それを口にするにはあまりにも三橋の瞳が一途に俺の方を見つめていたからだ。こんな目で見られるのは悪い気分じゃない、どっちかというと良い気分?今回ばかりは俺も心の中で水谷にナイレフトって言ってやる。まぁ、心の中だけなんだけど。
しかも格好良いと繰り返す三橋の頬は、興奮の為かほんのりと紅潮していてすごく可愛い。ここが学校じゃなかったら、思いっきり抱きしめてやりたいぐらいに可愛すぎ。ただ、あんまり一生懸命見つめてくるもんだから、俺の顔までちょっと熱くなってきたのは予想外だった。
「あ、三橋、それ何の格好?」
なんとかそれを三橋に気づかれる前に、俺は慌てて話題の方向を変えようとした。
「え、えと・・・お、オレは・・・」
俯き加減の茶色い頭から、ぴょこんと尖った耳が飛び出している。最初っから気になってたんだけど、どう見ても動物の耳だろ、それ。ついでに着ているのが、つんつるてんの浴衣だし。怪訝そうな俺の視線に気がついてか、三橋の顔がみるみる赤くなる。これはさっきみたいに興奮してって訳じゃない


―――どうやら三橋は本気で恥ずかしがっているらしい。


「だって9組はお化け屋敷やるんだろ。その格好もなんか意味あるんだろ?」
「う・・・うん」
なんだかいつにも増して、三橋の歯切れが悪い。お化け屋敷に動物の耳、丈の短い着物ってなんだ?しかもその浴衣、花模様なんかついちゃって、何処からどう見ても女用。じろじろと無遠慮に向けられる俺の視線に耐えかねてか、三橋が少し身体を捩った。半襟の抜かれた隙間から、一瞬、日に焼けていない真っさらな項がちらりと見える。


―――あ、浴衣いいな。チラリズムっていうか、なんかそそるモンがある。


「あ、阿部くん・・・」
「え、あ、何?」
気がつけば、三橋はちょっと引き気味の顔をしていた。「あ、やべぇ」鼻の下伸びてんじゃん。俺も慌てて顔を引き締める。おかげで三橋の顔も安心したように「フヒッ」と弛んだ。口が弛んだついでに、漸く話す気になったらしい。
「あの、ね。これ“猫娘”の格好みたい、なんだけど・・・」
「は?あ、ああ、猫娘って、あの猫娘かよ」
三橋の言葉を聞いて、俺の頭の中にぽんと『猫娘』が飛び出した。でも、あれって赤いスカートにリボン、おかっぱ頭の化け物だろ。
「あ、阿部くん・・・詳しいね・・・」
「え、い、いや。弟がな、漫画好きなんだ!それよか、なんで男のお前が猫娘なんだよ」
あれって女なんだから、女子がやる役なんじゃないだろうか?俺の疑問に、三橋は下がり気味の眉を更に下げて口を開いた。
「お、お化け屋敷の中、暑くって・・・。女子は辛いからって」
「あー、なるほどな」
確かに暗幕で窓を覆った教室は暑いだろう。特に、客が通るまでじっとしているお化け役は、女子には甚だ不人気だったらしい。
そういう訳で、男子の中では比較的小柄な三橋に猫娘の役が割り振られたらしい。衣装に関しては、漫画そのままの格好は流石に気の毒だという事で、クラスの女子がお古の浴衣を用意したというわけだ。
「阿部くんみたいに格好良くなくて、は、恥ずかしいけど・・・」
「別に、結構似合ってるよ」
可愛いじゃん。と付け足すと、三橋はちょっと口と尖らせて不満そうに鼻を鳴らした。オレだって男なのに、可愛いなんて言われても。と納得いかない表情も、またちょっと可愛いんだけどな!でも、また可愛いなんて言ったら、コイツも本気で臍まげちまうだろうと思ったので、その言葉は俺の胸の中にだけしまっておく。
そんな風にお互いのクラスの出し物について取り留めのない会話を続けていると、教室の扉が開いて、花井がひょっこりと顔を出した。

「おい、阿部。そろそろ始まるみたいだぞ」
「あ、判った。すぐ戻るから」
「お、オレもクラスに帰るね」
「お前、急いでるからって走んなよ!こけたら承知しねぇぞ!」
「は、はひっ!」
「おい!」

注意したにも関わらず、飛び上がって駆け出そうとする腕を掴んで引き寄せる。瞬時に花井から見えない絶妙な角度を計算すると、俺はまだ赤みの残る耳元に口を寄せる。勿論、作り物の猫耳じゃなくて本物の三橋の耳の方だ。

「それ、マジで似合ってるから。後でその格好で文化祭回るか?」
「・・・あ・・・あう・・・あ」

ほんのイタズラ心で囁いたのに、効果は絶大だった。三橋は、ほんのりどころか頭の先まで茹で蛸の様な色に染まると、声も出ないみたいだ。ああ、本当、本気でこのままばっくれたくなってきた。

「阿部、呼ばれてっぞ!三橋も9組戻らなきゃやばいだろ!」

だが、そうは問屋も卸さないらしい。ドアが開くと、一旦引っ込んだと思ってた花井の顔が再び俺と三橋の名前を呼ぶ。

「判ったよ!・・・ちっ、しょうがねぇな・・・」

手放すのは些か残念だったけど、そろそろ時間切れのようだ。これ以上やってたら確かにマズイかもしれないからな。クラスがどうのというよりも、俺の理性が限界に近い。

「じゃ、じゃあ阿部くん。オレ行くよ!」
「ああ・・・って、だから走んじゃねぇって言っただろ!!」

相変わらず肝心なとこで人の話聞いてないヤツだよな。怒鳴りつけた拍子に茶色い耳がぴょこんと揺れる。


「ひっ!」



くるりと背中を向けた三橋の後ろ姿には、ご丁寧に長い尻尾までついていた。






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