【Limted*time(期間限定)】・1



今日、告白をされた。
ちなみに15年間生きてきて、男から愛の告白をされたのは初めてだ。

「あの・・・さぁ・・・」

とりあえず言葉が出てこないのは当然だろう。だって俺とこいつは男同士で、同じチームで、しかもバッテリーを組んでるエースピッチャーで。大切な相手には違いないが、コイツの言う『大切』と自分の考えの方向性とはちょっと違う気がする。

「あ、べくん・・・だ、駄目ですか・・・?」

真っ白になるくらいに握りしめられた拳、震える細い肩。でもこの時の俺が、そんなコイツを見ながら考えてた事といったら、こいつもっと食わせないと駄目だな。とか筋トレのメニューちょっと変更するか、とか割と普通の事だった。

―――いや、『普通』っていうか『現実逃避』?

「駄目・・・う、駄目というか・・・」
鳶色の瞳が涙を溜めたまま、睫毛を瞬かせる。ああ、睫毛も結構長いんだ。涙が一滴、目尻に引っかかっているのを見てふいにそんな事が浮かんだ。
「阿部くん・・・」
泣きそうというより、もう泣いてるだろお前。泣き虫で卑屈でどうしようもないヤツだけど、目の前のコイツがいなかったら俺はたぶん『野球』をする事が出来ない。でも、な。こんな自分達が恋愛するっていうのも想像出来ないんだ。
―――だって俺だって、一応健全な男子高校生のわけだから夢はある。今は野球で頭いっぱいだけど、そのうち、そのうち、は―――

「阿部くん・・・、お、オレ・・・」

あ、やべ。と思った時は遅かった。返事を躊躇してる間に、大粒の涙が転がり落ちた。

「おい、お前、ちょっと待てって!」
ごめんなさい、ごめんなさい。と繰り返し頭を下げ、踵を返して猛ダッシュで逃げようとするコイツを、かろうじて捉まえる事が出来たのは僥倖だった。震えながら此方の方を振り返る顔は、もう涙でぐしゃぐしゃだ。

「あ、あのさ・・・付き合うって、いうか・・・」
「付き合ってくれる、の!」
「あ、いや・・・」
「そ、そうだよね・・・」

一瞬、ぴょーんと飛び上がったかと思うと、次の瞬間は地面にのめり込む寸前まで沈み込んでいる。アップダウン激しいヤツだな。しかし、このまま凹まれっぱなしだと、これからの未来予想図にも色々と支障が生じてくる。ここは腹をくくるしかないだろう。と秤にかけた錘の重さを、頭の中で一気に計算した。

「・・・あのさ、俺、お前の事そういう意味で好きってわけじゃないからさ。でも、とりあえず――」
「とりあえず?」

茶色の頭が不思議そうに小首を傾げて此方を見る。隠しようもなく不安と期待感を滲ませた瞳に、緊張で口の中が乾き、思わず唾を飲み込んだ。


「さ、3ヶ月。3ヶ月だけだったら、付き合ってやるよ」


今から3ヶ月だったら大きな大会も終わっている。今、下手に断ってコイツのテンションを下げるような事だけはしたくなかった。

「3ヶ月・・・」

涙で汚れた顔がふにゃりと歪む。泣いているような笑っているような、奇妙な表情。感情がどちらにより傾いているかなんて、人生経験の浅い俺には区別がつかない。


「お前は、どうするの?」


後から考えれば、これはひどく高慢な問いかけだった。答えなんて、聞かなくても最初から判っていたんだ。それは目の前に転がっている小石と同じくらいに単純な問題だ。

気がつけば、柔らかそうな茶色の頭が頷くのを、至極複雑な気持ちで眺めていた。




□□□Limited*time(期間限定)□□□






「あ、阿部くん・・・」
「おう」
もたもたとボタンを嵌めながら、三橋が振り返る。部室には、自分達の他はもう誰もいない。明かり取りの小さな窓は塗りつぶされたように真っ黒で、少し前に下校を促す放送が聞こえたきり物音もしなくなっている。

「オレ、着替えるの遅くて、ご、ごめんね」
焦ると余計に時間かかるんだよな。と思ったら案の定、阿部は三橋のシャツのボタンがずれて嵌っているのに気がついてしまった。

「そんな急がなくてもいいから、ちゃんとやれよ」
「う、うん・・・」

手持ち無沙汰に捲っていた雑誌を鞄に押し込むと、起ち上がって三橋のシャツに手をかけた。ずれていたボタンを外して、またきちんとはめ直す。
スムーズにやれば3分もかからない作業中、三橋はもうコイツのデフォルトになっている情けない顔でずっと俺の手元を見ていた。

「でも・・・オレ、阿部くんに迷惑かけ、て」
「別にいいから」

でも、まだ、と言いかけるのを押し止めて、ここ最近の切り札ともいえる言葉を口にする。

「俺達つきあってんだろ、これくらいの事でぐだぐだ言うな」
「う、うん・・・」
『付き合っている』という言葉を聞いた途端、三橋は困ったような表情で頷いた。その目を見ると、何故かざらりとした違和感が胸を撫でる。なんでだろう。原因は良く判らなかったが、ひどく気持ちが悪いのだけは確かだった。
三橋は相変わらずとろい仕草で鞄に荷物を詰めている。無理矢理に締めたチャックが耳障りなおとをたてて生地を噛んだ。あんないい加減な事したら家の帰ってから大変になるくせに、コイツは何回注意しても治らない。よほど直してやろうかとも思ったが、先程感じた違和感を思い出すと自然に手は止まった。

「ほら、支度出来たんなら行くぞ」
急かすつもりはなかったが、苛立ちは声に現れたらしく、ただでさえ細い三橋の肩が更に狭まったように見える。知らず溜め息が口をついた。
ごめんなさい、と呟く声に聞こえない振りをしてドアに手をかけると、軋んだ音をたてて外の風が入ってくる。胸の奥まで吸い込んだ大気が少し冷たい。

「帰りにコンビニ寄ってくか?」
フォローと言われればそうなのだろう。だが、変にぎこちなくなったこの場の雰囲気が、なんとかなれば良いと思ったのも本当だ。
「・・・あ、阿部くんが行くなら」
でも、俯きかけていた茶色の頭が持ち上がって、より安堵したのは自分の方かもしれない。
努めて柔らかい口調で誘ってやれば、三橋は途惑いながらも決して断る事をしないのだ。決まったら、さっさと行くぞと足早に駐輪所に向かう。鳶色の瞳は揺れながらも必死に後をついてきた。

「あ、三橋、お前店に行っても甘い飲み物や菓子は避けろよ。なんか腹にたまるモンにしとけ」
「う、は、はいっ!」

大げさな身振りで頷く様子がおかしくて吹き出すと、ほんの僅かだが自分達を取り巻く空気が弛んだ気がする。軽い足音がして、三橋が隣に並んだのが判った。身体の横に下げた互いの手がぶつかって、ごめん。悪い。と謝った瞬間、淡い色の双眸に浮かんだのは―――微かな落胆。

その距離は、友達より近い。
その距離は、恋人というには遠い。

これ以上遠ざかる勇気も、近づく決心もままならない自分を、三橋はどう思っているのだろう。


□□□


カラカラと乾いた音を立てて自転車のスポークが回る。三橋が真横よりも僅かに後ろを走っている所為で、時折聞こえる相づちの他は互いにどんな表情をしているか判らない。曖昧な距離は、そのまま二人の関係を表しているのだろうか。
ふっ、と吐いた息が微かに白く見えた気がして、夜空を仰ぎ見た。

―――三橋の瞳に滲む物を理解出来ない。

ぶつかった手を握ってやるのは当然なのだろうか―――俺達は『付き合っている』のだから。
頭では判っていても、行動におこすとなれば話は別だ。何回考えても、自分とコイツがそんな風に睦まじく寄り添う姿は想像がつかなかった。三橋は何も言わない。言われない事に甘えるかのように他愛ない会話を繋げていれば、知らぬ間に景色は流れ、目的の場所はいつの間にか目の前に現れた。
人工灯の白い光に覆われた店は、誘蛾灯のように暗闇に浮かんでいる。
ガラスで出来た透明な扉が開いて、中に踏み入れると、外気とは異なる温度に肌が微かに震えた。


「おばさん夕飯の支度してくれてんだろ、食うのは良いけど、ほどほどにしとけよ」
「うん、これだけにしておくよ」
「これだけ、って量かよ。それは!」

透明なセロファンに包まれたお握りと、キツネ色に焼けたクリームパン、平べったい具の挟まったサンドイッチまで抱えられては、相方として注意をするしか他はなかった。適当に一番上に載っていたパンを棚に戻すと、あ、と小さな声がして、名残惜しげな視線が追っていく。
「・・・それが食いたきゃ、お握り戻せよ」
低い声で告げると、薄い身体はびくりと震えて腕の中の食べ物を大事そうに抱え込む。
「え・・・う、う、それは・・・」
棚のパンにはまだ未練があるらしい。そうかといって代わりに何かをあきらめるかといえば、それは別問題のようだ。こと投球と食べ物に関しての三橋は、相変わらず感心するほど諦めが悪い。結局折れるのは自分の方だ。呆れた風な溜め息をつきながら、俺は戻したパンを再び載せてやる。

「それ食ったら、夕飯で調整しとけよ」
「う、は、はいっ!」

食べることは大事だが、食べ過ぎは身体を損ねる。当たり前の事だが、どこか抜けている三橋には幾ら注意しても、したりるという感覚は湧かなかった。花井や水谷辺りに言わせると、自分が過保護なのだという事らしいが、こんなヤツを放っておける方がどうかしているのだ。
嬉しそうに礼を述べ、会計に走っていく後ろ姿を見ながら自然と笑いが込み上げてくる。

「なんだよ、あんなすっ飛んでって。こけたらウメボシもんだからな!」

作り物の白い光によって無闇に明るく照らされた店内で、空腹を満たす為の物を探して彷徨く三橋の姿は恋愛からは程遠い。
でも、これが現状だ。
愛だの、恋だのという物よりも、此方の方が余程自分達らしい。そう思うのに途惑いはまるで無かった。

三橋と『付き合い』始めてから、一ヶ月が経っていた。





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