君の手で触れて(お試し読み用・抜粋)



勢い良く頭を振ると、三橋は弁当の包みを解いて箸を動かし始めた。そんな彼の手元を覗き込んでいた田島が自分の弁当箱から卵焼きを一つ取り出して、二人でおかずの交換会まで始め出す始末だ。「交換こだな!」とのたまわる田島に「交換こ、だ」と本当に楽しそうに、屈託の無い表情で笑う三橋。部員の誰もが微笑まし気に見守るその光景を、だが阿部は一人だけ全く違った感情で見つめていた。

自分以外の誰かに三橋の笑顔が向けられる、誰かの手が三橋に触れる。その度に、苛立つ。苛立ちの上から動揺が塗りたくられて、平静を装った顔の裏側はただただ動揺していた。部員の団欒の場である昼休みでさえ、自然と口数は少なくなり表情も曇る一方だ。しかも三橋の声を聞き、姿を追うだけで、暗い熱が身体の中央をずくりと突き上げる。

―――俺にどうしろって、いうんだよ・・・。

これでは腹の底、薄い膜を隔てて凶暴な獣を飼っている様なものだ。それも爪の先で裂けてしまうくらいに脆い壁の向こう、獰猛な光を宿した目で獣は機会を伺っている。いつ何時、食い破られるかも判らない。
なけなしの壁が崩れる時には、きっと自分は三橋の事をずたずたに引き裂いてしまう――そんな予感がしていた。



____________________________________________________________





まずは三橋の携帯に電話してみよう。食い意地が張っている彼のことだから、夕飯を抜きにするなんて考えられない、自宅に戻っている可能性は高かった。でも、ひょっとすると空っぽの腹を抱えて何処かで泣いているかもしれない。どちらにしてもすることは一つだ。

「早く、見つけてやんねーとな」

あの泣き虫の投手の面倒をみるのは、阿部の仕事だ。誰にも譲るつもりはないし、三橋だってそれは望んでいない、だろう。随分と自分に都合の良い思考のようにも思えたが、唇に残った仄かな熱が阿部の背中を後押しする。


「絶対言わせてやるからな・・・」


____________________________________________________________



『scent in the future』より〜


「逃げんなよ」
「ふひっ!」

伸ばした腕が、薄い身体を引き寄せる。次の瞬間、ふわりと重ねた唇に、髪と同じ淡い色の睫毛が震えながら伏せられた。

「お前も、近い、近い、文句言うけどさ。近くなかったら、こんな事も出来ないんだぜ」

ゆっくりと、そして何回も角度を変えて重ねられる唇に、腕の中の存在がうっとりと目を細めるのを見て、阿部は自身も知らない内に満足気な笑みを浮かべている。

「近くなきゃ、こんな事出来ないだろ」
「うん・・・でき、ない」

始めは胸元で握られていた三橋の手も、いつの間にか阿部の首の後ろに回っていた。
柔らかな茶色の髪がかかる額に、こつんと自分のそれを合わせ、口の端を軽く上げながらお伺いをたてる。

「明日、練習オフだしな。ビデオの続きは明日でいいだろ?」




-Powered by HTML DWARF-