お前らは『同じ』なんだろ。一旦重なったはずの視線を外して、眉村は脱ぎ捨てたシャツを拾い上げた。床の上に無惨な皺を寄せていたそれに腕を通し、真珠色の小さな釦に指をかける。しかし、その小さな釦が所定の位置に収まることはなかった。

「だから、待て、って言ってるだろ!!」

勢いよくシャツの端を引かれて、眉村の体勢が崩れる。微かな音をたてて釦が外れ、ひやりとした外気が肌を撫でた。しかし、その事に文句を言う間もなく。布を握りしめたまま離さない吾郎と、袖を通していた眉村は、そのままもつれ合うようにしてラグの上に転がった。

「痛ってー。・・・おい、眉村大丈夫かよ!」
倒れた時に下敷きになった眉村は、なかなか起きあがらない。まさか頭か肩でも打ったのではないかと、血の気の引いた顔で吾郎は眉村の顔を覗き込んだ。

「眉村、大丈夫か・・・?」
「・・・・・・」
「おい!答えろよ、眉村!!」

焦りを滲ませた声で吾郎が怒鳴りつける。それでも何も言わない眉村の顔は、硬い腕に覆われて表情が全く伺えなかった。

「眉村・・・、なんでだよ・・・」
その事が、まるで自分の存在を拒否されているようで、今までに感じた事が無いような恐怖感が吾郎の胸に湧いてくる。
追いつけたかもしれないと思ったのに、こんな所でまた見失うのだろうか?
そう思った瞬間に、ふいに鼻の奥にツンとした痛みが走り、食いしばった歯列の間から呻き声が漏れた。

「ちっくしょー・・・、ふざけんなよ・・・」


マウンドでの投げ合いで負けるなら追いかける事は出来る。でも、こんな形で眉村を失ったのなら、その時は二度と取り戻す事は出来ないだろう。そんな事は吾郎にとって、認める事も受け入れる事も出来るはずはなかった。

「くっそ、顔くらい見せろ・・・」
頑なに顔を見せようとしない眉村に馬乗りになり腕を掴む。体格にそう差はないはずなのだが、掴んだ腕の鍛え上げられた筋肉に、彼の才能と努力の片鱗を感じて場違いな悔しささえも生まれる。そして予想通り、無理矢理外そうとした眉村の腕は、簡単には動いてはくれない。

「眉村・・・」
焦りと混乱が入り混じった呟きが自然に漏れた後。唐突に、本当に唐突に眉村の腕を掴む吾郎の手から力が抜けた。

「あれ・・・?俺・・・」
消え入るような疑問符は、そのまま滴になって、ぱたぱたと眉村の上に降り注いだ。



□□□



腕で顔を覆ったのは、吾郎の視線が怖かったからだ。今の自分が相当に酷い顔をしている事は、鏡など見なくても解っていた。
それは“嫉妬に狂った”という方がマシなくらい、失う事を怯えた愚か者の顔だ。

(こんな顔を見られたいヤツがどこにいる?)

ムキになって腕を外そうとする吾郎に対して、眉村も子供が意地を張るように力を込める。こんな事が何の訳にも立たない事は解っていたけれど。



「・・・?っ、し、茂野!?」
突然感じた柔らかな水の感触に、眉村は跳ね起きた。掴む腕の力が弛んだ時は、『これで吾郎も諦めたか』と、どこか暗い安堵も覚えたが、事態はそれだけでは済まなかったらしい。
腕を濡らす吾郎の涙に呆然としながらも、身体を起こして腹の上の彼の顔を正面から見据えた。
「お前・・・」
そうやって改めて向き合うと、吾郎が少しばかり困ったような表情で笑って。顔を隠していた時以上に居たたまれない感情に、眉村は苛まれる。


「はは・・・、なんで涙なんて出てくるんだろうな・・・?」
馬鹿みてぇ。ぽつりと自嘲気味に吾郎が言葉を続けると。目尻に溜まっていた水分が、珠になって頬を滑り落ちた。

「・・・悪い」
「なんで、眉村があやまるんだよ」
「俺にあんな事を言う権利はなかった。お前が誰の事を考えていても、それは自ゆ・・・」
「ちょっと、ちょっと、待てよ!!」
お前、まだ誤解してるだろ・・・。心底脱力した様子で吾郎は溜め息をついた。零れていた涙もとうに止まって、頬には微かな白い筋だけが残っている。指で触れると少しばかりざらついたそれに、眉村は舌を這わせた。

「悪かった・・・。茂野」

あやまらせてくれ。真摯な言葉の響きに、吾郎もそれ以上の文句は言わず、腕の中で大人しく優しいキスを受け入れることにした。



□□□



「寿は俺で、今の俺を形成する一番大きいパーツなんだ。だから絶対に離れる事が出来ない」
それは寿にとっても『同じ』だ。大切とか必要とかそういう次元じゃないんだ。
次に、眉村のはだけた胸の、ちょうど心臓の上の部分を指さして言う。

「でも、眉村(おまえ)の事は・・・」
「・・・・・・」

吾郎の涙を見たばかりだというのに、眉村の腹の底でずくりとした痛みが走る。身体は正直だ。怯えはそのまま痛みとなって、自身の愚かさを教えてくれる。その痛みを取り去ってくれるのは、彼の目の前の人物しかいなかった。

「・・・『欲しい』んだ。必要だからじゃなく、ただ欲しくてたまらないんだ」
「茂野・・・」

駄々をこねる子供みたいな理屈なのかもしれない。
絶対に切れない相手がいるのに、尚かつ別の誰かを欲しいと言うのは高慢なのかもしれない。

ただ、そこに偽りの影が無い事だけは、吾郎の瞳を見れば明らかだった。

「だから、お前は気に入らないだろうけど、俺はお前からも離れたくない」

そして今、吾郎の真っ直ぐな視線の先に居るのは、寿也ではなく眉村だ。
吾郎が欲しがっているのは、まぎれもなく『眉村』自身なのだ。

「・・・ああ」

俺も、離れたくない。

めったに囁かない甘い言葉の威力は絶大だ。
耳まで朱く染まった吾郎を抱き寄せて、眉村は幸せそうに笑った。

吾郎がこれまで見た事が無いくらい幸せそうに―――



□□□


「ああ、そうだ。言い忘れてた!」
実はこれを伝えるつもりもあって帰ってきたんだぜ!イマイチ事情が飲み込めず、ああ。とだけ頷く眉村に、吾郎は笑顔でバックから何かを取り出した。

アメリカンナイズされたポップな色合いの三角錐の紙は、頂点の所からぷらりと糸が垂れている。

「それは、・・・もしかしてクラッカーか?」

吾郎の手に載っていたのは、日本の常識から考えれば、明らかに規格外とも言える大きさの物だ。

「そうだぜ!わざわざ米国(向こう)から持ってきてやったんだ、苦労したんだからな〜」
特に飛行機に乗る時はどきどきモンだったぜ。等と自慢する吾郎を見れば、一瞬で、寿也の長年の苦労を分かち合った気さえする。今度会った時は、さぞかし話も弾みそうだ。
そんな新たな苦悩に気づいてしまった眉村をよそに、吾郎は嬉々として特大クラッカーの糸を引いた。

「Happy Birthday 眉村!!」

派手な割に軽い音とともに、細かく刻まれた色紙や紙テープが部屋中に舞い散る。呆気にとられた眉村の顔を見て、吾郎はまた笑った。

「これで、お前もやっと俺に追いついたな!!」

「そうか・・・、俺の誕生日だったな」

呆然としながらも、仄かに甘い感情に眉村は浸っていた。
自分のちっぽけな思惑を吾郎は簡単に飛び越えてくる。それが彼の強さであり、彼の輝きであり、眉村を魅了する全てに繋がっている。

「ほら、せっかく人が祝ってやっているんだから、何か言えよ!」
「あ、ああ・・・。すまない・・・」
「こういう時はあやまるんじゃなくて、礼を言えよ、礼を!!」
「そ、そうだな・・・。・・・ありがとう、茂野」


(ありがとう。)


いつだってそれは変わらない。
たぶん、これからも、

きっと変わらない。



End