(それは、たとえば、の話)

乾いた音を立てて、アルミの袋が開けられる。
ぱっと散ったのは、油の揚げられた香ばしい匂いと砕けた黄色い欠片。



■■■  Innocent word ■■■ 



「うわっと、と、ちょっとこぼれちまったぜ」
吾郎がラグの上に広がったポテトチップスの欠片を慌てて拾う。毛足の短いものとはいえ、粉々になった欠片は容易にはとれそうになかった。

「あー、そのままでいいよ。後で掃除機でもかけるからさ」
片手にトレイを持った寿也が、ひょっこり顔を出す。
たいして綺麗なモノでもないからさ、と笑って言われると、吾郎も大人しく自分の定位置に戻るしかない。

うっすらと汗をかいた、氷たっぷりのグラスが、2人の間にあるテーブルに置かれる。

「吾郎君は、コーラで良かったよね」
「おう、さんきゅ、な」
「どういたしまして」
トレイを片付けた寿也は、今度は濃藍色のバッグを取り出した。どこかで見覚えのある蛍光色の印字。
「へーっ。それが、トシが見たかったっていう映画か?」
興味津々に覗き込んでくる無邪気な瞳を軽くかわして、寿也はケースを開けて薄い銀色の円盤をセットした。
「どうせ吾郎君は、アクションものばかりしか見てないだろ」
「げげげ、違うのかよ。お前、一人で恋愛モノとか見ちゃうわけ?」
“こんな風にちゅーしたり”“ワタシヲステルノ!?アナタノコヨ”などと身体をよじり、一人芝居の要領でベタなラブシーンを演じてみせる吾郎にも、寿也はしばしの無言の後で―――

「吾郎くん。」

「はい?」

「まだ猿芝居を続ける気?」

「黙って見ていられないなら、僕にも考えがあるよ・・・」

「は、はいっ!!」

(こ、怖ぇーぜ!トシ・・・)
その時の恐怖は、ガス欠の車に受験票を忘れた時に匹敵するものがあった。一気に体温が下がったのが錯覚でなかった証拠に、背中には嫌な汗が伝っている。
こんな状態の寿也を目の前にしては、さすがの吾郎もたまらず居住まいを整えた。

「はぁ。何、正座してんの?足崩せば?」

「い、いえ・・・このままでイイデス・・・」

(相変わらず冗談通じねぇよな・・・、
っていうか今、
鼻で笑われなかったか、俺!?)

『ちくしょー、覚えてろ』などと思いながらも、口に出さなかったのは、
――この場合もっとも懸命な方法だったといえよう・・・。


■■■


少し褪せた色彩は、この映画の撮られた時代を思わせる。

画面のなかで物語は佳境にさしかかっていた。
誰もいない島に流れ着いた1組の男女。男は島を出ようと言い、女は危険を冒すよりここに残ろうと涙を流す。
ありきたりな話の筋に、お決まりの愁嘆場。

あくびを噛み殺す事さえできない様子の吾郎を横目で見て、寿也は停止ボタンを押した。

「んぁ?もう見ないのか?」
「うん。別にかまわないさ。それよりも吾郎君こそ、眠くなってきたんじゃないの?」
「でも、お前この映画見たかったんだろ」
リモコンに手を伸ばして、再生ボタンを押そうとするのを寿也か微かに笑って留める。

「いいんだよ、初めて見た訳でもないし。ちょっと懐かしくて借りてきただけだから」
でも、昔見た時はもっとおもしろいと思ったんだけどな。思っていたよりつまらなくてごめんね。と呟いた横顔は、どこか遠い所を見ているようだった。

「ねぇ、もし吾郎君だったらさ・・・」
少しばかり冗談めかした調子で、寿也が吾郎に尋ねた。

「島を出る?―――それとも残る?」

「そんなの決まってんだろ!何がなんでも脱出してやるぜ!」
握り拳も高々と、吾郎はファイティングポーズを決めてみせる。

「・・・なんだよ、なんか文句あるのかよ」

僅かに引いた気配を感じたのか、胡乱な視線が寿也にからみついた。とりあえず、宥めるように笑ってみせたものの、さして効果が上がったとはいえなさそうだ。
「い、いや、吾郎君らしいな。と思ってさ」
(がむしゃらに抜き手を切って、沖に泳ぎ出す様子が目に浮かぶようだよ・・・。)

と、心の声はともかく真剣な面持ちで寿也に言われれば、先程の不機嫌さはどこにいったのか、吾郎からは満面の笑みが返ってきた。

「もちろん、トシも一緒だからな!!」

「・・・へ?」

「ほら、お前ってさ。変な所で諦めが良さそうだからな、こういう場合はあっさり『残る』って言いそうな感じがすんだよ」

「・・・あ、ああ」

「だから、絶対ぇ、俺がお前を連れてく」

嫌がっても、引きずって連れてくぜ!と当然のように笑う彼に、寿也は一瞬言葉を失った。
寿也が一緒に来ないなんて、考えた事もないのだろうか。あくまでも自信たっぷりに言い切る吾郎に、寿也はじんわりとした熱が、指の先から、身体の底から上がってくるのに気がついた。

「・・・うん」

(吾郎君、僕は―――)

「なにせ脱出する方法なんて、いくらでもあるからな!!」


「吾郎く・・・、いくらでもって、・・・へ?」

「だーかーらー、無人島から脱出する方法の事を言ってるんだぜ!」
「あ、・・・・・・」
「なーに、黙り込んでんだよ」

感動から、一挙に現実に引き戻された寿也は、くらくらと目眩のしそうな頭を抱えて間近の吾郎の顔を見つめた。

(だーかーらー!!なんでそこでそうなるんだよ・・・吾郎君!!『寿也心の叫び』)

いっそのことうめき声を上げて、倒れ伏したいくらい(というか、むしろ押し倒してやりたい!!)な寿也を尻目に、その背中をバシバシ叩きながら、吾郎の力説は続いていた。

「筏つくるとか、まぁ、最悪は丸太一本でも行ける所までいくさ」
「まるたいっぽん・・・、吾郎君、それ本気で言ってる?」
「ああ、でも筏つくるにしても、俺よりお前の方が上手そうだしな」
うーん、と些か残念そうに呟いた後、『俺が作ったら途中で分解しそうだからな。トシが作ってくれよ。』と、どこか自慢げに笑う顔に、ゆっくりと寿也の心の底の澱がほどけてゆく。
じんわりと緩やかに上がる熱は、すでに体中に柔らかく広がっていた。

「分解するというよりも、浮かなさそう・・・だよ」
こんな何気ないやり取りに、涙腺が緩みそうになった自分をごまかすために、寿也は突っ込みを入れる。
「てめぇっ、トシ!何言ってんだよ!!」
(僕の他愛のない話を、一生懸命に聞いてくれる君が好きだよ。)
照れ隠しの突っ込みと、気づいて欲しくなくてわざと突き放した言い方も
してみたが、それもあっさりと裏切られた。

「ま、・・・考え込むなよな、何があったか知らないけど」

「あ・・・・・・。」

(こうやって、何度気づかされたんだろう、君が僕を見ていてくれた事に。)

「筏は吾郎君のでいいよ」

「え、マジで!!いいのか!?」

「うん。いいよ」

「でも、・・・沈みそうなんだろ?」


「ああ、沈む時は『一蓮托生』だからね」




「ぜってぇ、泳ぎ切ってやる。沈もうがかまやしねぇぜ!!!」と叫ぶ吾郎に、「どっちにしろ僕が乗ってるんだよ、沈ませるなんて事があると思うのかい?」と自信たっぷり爽やかな笑顔で返す寿也のその後は、―――また別のお話。




■■■the end or to be continued?