誰が為に今日を祝おう


 





「ねーねー、阿部。何か忘れてなぁい?」




「別にねぇよ」




にべもなく言い切る捕手の顔を見て、水谷はふんにゃりと眉を顰めた。








【誰が為に今日を祝おう〜08’水谷誕生日〜】








これが仮に9組の「彼」だったなら、阿部は舌打ちをしつつもフォローに入るのが通常だが、同クラスの慣れというか、それとも(水谷としては考えたくはないのだが)とんちきな発言の多い事に対する侮蔑なのか、態度はあくまで冷たいままだった。


「水谷・・・」
「は、花井っ!」


すごすごと自分の席に戻る水谷の背中を、花井が軽く叩いて慰める。それが主将の優しささだと知り、寂しげに丸まった背中も僅かだが立ち直ったように見えた。


『ハナイナラワカッテクレルヨネ、コノリフジンサ!』
『ワカルキモスルケド、アベアイテニワカレトイウホウガムボウダロ。』


小声で交わされる会話は、本人達の意に反して、ばっちりと阿部の耳に流れ込んでいる。


「お前等・・・」


すごまれて、びくつくくらいなら余計な事は口にするな。という副主将の持論は強い者のみに通用する。野球部内で例えていうのなら―――口にした本人を除けば、田島くらいかもしれないが。
今度こそ沈黙を余儀なくされた水谷が、傷だらけのハートを抱えたまま机に突っ伏すと、出入り口に近い席のクラスメートが彼の名を呼んだ。




「水谷―。野球部の奴に呼ばれてるぞ」




「え、あ、ああ、うん。今行く」




慌てて立ち上がって振り返る。だが、自分を呼びに来た人物を確認するより先に、阿部の視線に気がついた。


「阿部・・・?」


阿部が凝と見ているのは、教室のドアの方。つまりは、水谷に用件があるとやってきた野球部員のいる方向。
あまりにも真剣な眼差しに「まさか」という思いが頭を過ぎる。




まさかまさかまさかまさか―――!!




食い入るような阿部の目付きが怖い。本気で怖い。どれぐらい怖いかといえば、まずいプロテインの牛乳割りを毎日三食大ジョッキで飲まされるくらいに怖い。
とりあえず、水谷としてはこのレーザーアベビームの放射線上に乗りたくはないのだが、降りかかった事態は、そんなに生易しいものではなかった。


「水谷くんっ」


頬を染め(たぶん走ってきたんだろう)、見るからに綺麗に包まれた箱を持った(よくあんな物を学校に持ってこれたな)、西浦高校野球部のエースの姿がそこにはあったからだ。




「三橋・・・」




ぼそりとした阿部の声が、低い響きが、怖い怖い怖い、兎にも角にも『怖い』。
聞かなかった振りをするには、あまりに大きかった独り言は、とりあえず―――とりあえず聞こえなかった振りをする。


「水谷くんっ!」
「い、今行く、よ〜」


ああ、あんなに嬉しそうな顔して、俺のことを地獄の一丁目に突き落とす気か。湧き出る障気に、花井はすでに失神寸前だし。誰か助けて、と心の奥で叫んでも、栄口も巣山も沖も西広も田島も泉も、みんな自分のクラスだし。
覚悟を決めた水谷が三橋の元に向かうと(あんまり待たせて三橋を不安にさせると、阿部の逆鱗に触れる恐れがあるからだ)、近くで見ると、より丁寧に包装された包みを手渡された。


「水谷くん、お、お誕生日おめでとう!オレ、正月は群馬に帰ってたから、少し過ぎちゃったけ、ど」


忘れて無かったよ。ふひっ。と彼独特の奇妙な笑顔が浮かべられた時、水谷の背中に吹き荒れるブリザードは最高潮に達していた。


「ありがと、う・・・」


滲む涙を感激と見たのか、三橋の瞳も潤んでいる。いや、今更言い訳はすまい。全てはタイミングが悪かったのだ。ほろりと零れた滴を拭うと、投手がそっと顔を寄せて来た。


『あの、ね・・・』
『え、な、何か、な?』


首を傾げると、鳶色の睫毛が瞬いた。


『オレが、阿部くんの誕生日プレゼント用意した、時、すごく世話になったから。お礼だ、よ』


耳元で囁いた後、離れた三橋の頬は、ほんのりとした色に染まっている。


「で、でも、阿部くんには内緒にしといて、ね!」


何処からか甘い香りさえ漂ってきそうな表情に「ああ、道理で」と納得がいった。いくら仲の良い友人の誕生日でも、このプレゼントの豪華さはないだろう。と思っていたが、阿部誕の礼も含めてって、事か。




―――それだけ阿部が好きなら、さ、頼むから『アレ』どうにかしてくれよ。




叫べたら楽だと分かっていても、出来ない所が水谷の性分なのだろう。要領が良いようで肝心な所が抜けている。曖昧な笑みで頷くと、三橋は、ほっとした表情で自分の教室へと戻っていった。






「おい、水谷・・・」






ああ、見たくない見たくない見たくない。
花井はあくまで沈黙を守っている。
阿部の声は、いよいよ地を這う程低い。
手渡された包みが死ぬほど重くて、放り出せるならそうしたいが、それをやったら―――明日は確実にないだろう。(三橋から贈られた物を阿部の目前で粗末にするなんて自殺行為に他ならない)


「あ、あの・・・何か、な?」


うっそりと呟く阿部の手元には、銀色のペンが握られている。ああ、そんな思い切り握りしめたら歪むんじゃないの。そんな顔するくらいなら、さっさと彼に告白でもなんでもしてしまえ。玉砕するかもしれない?そんな訳無いだろあの顔みれば!(でも、野球部の問題にならない範囲で頼む、花井の胃袋がこれ以上痛むのも、ちょっと困るから・・・)


「なんで三橋が、米なんかに物をやるんだよ」
「た、たたた」
「たたたぁ?」
「誕生日、だった、から・・・」


ああそうだっけ。と、ほんの僅かだけ阿部の眉間が弛んだ。でも本当に僅かなのだ、可愛らしく結ばれたリボンの、どちらの端を引こうか、と躊躇うくらいの僅かな差。


―――ああ、ぶっちゃけてしまいたい。愛情のこもった誕生日プレゼントをもらってるくせに、全然気づかない阿部の鈍感とか。あんなに情熱を込めた視線を送られてるのに、てんで意識しない三橋の天然だとか。全部全部全部―――ぶっちゃけられはしないんだけど。


「でも、俺がそんな理由で納得すると思ったか?」
「思ってた、よう、な、ないような・・・」
「どっちだよ」
「お、もって・・・」
「ないんだな」


『ニィッ』と脇に効果音の書かれた悪魔の笑顔。何故そうなる。なんで自分の誕生日(過ぎちゃったけど)祝いにこんな仕打ちを受けるのか、世の中に渦巻く全ての理不尽さに、水谷が目眩を感じた時。阿部は手にしたペンを、馬鹿に丁寧な手つきで筆箱にしまっていた。儀式のように恭しく、愛おしげに見つめる横顔に、喉の奥がチクチクする。




たかが、ペン。されど、ペンだ。何故ならば―――






シンプルだが、いかにも質の良さそうなそれこそが―――三橋が阿部に送った誕生日プレゼントだったのだ。