【錦秋ー傾城傾国・7ー】




パラレル・どこかの時代、どこかの国で。






窓から見える峰が、いつの間にか黄色く染まっている。絹の帳を揺らす風も一頃に比べるとひどく涼しく感じられて、廉はそっと着物の袷を握りしめた。
ゆるい西日が、滲むように赤い光を投げかけている。
その色に染められた木々を見て、まるで燃えているようだと思った。


散った葉の中から見目の良い物。たとえば鮮やかな紅や黄に染まり、尚かつ欠けの無い落ち葉を拾う事が、宮中で流行っているらしい。
女官達が童女のように競って枯葉を掻き集めているのを見ながら、廉は溜め息をついた。

(――あんな遊びに、熱心になれるなんて。)

ひどく冷めた思いが胸を占める。廉の常識とこの場所は、やはりかけ離れている。
木から落ちてしまった葉など、実際は火にくべる事くらいしか役に立たないのに。
だが、そんな俗世の理がここで通用しない事も、分かりすぎるほど廉は良く分かっていた。
美しい形を保っている葉が奪うように袂に投げ込まれるのと対照的に、不揃いの物や色づきの悪い葉はあっさりと踏みにじられる。無邪気に笑う箱庭の外がどんな世界なのか、彼女達は想像した事もないのだろう。
渡り廊下の欄干に手をついていると、自分の手まで塗られた丹で朱色に染まりそうな気がする。
まるで、あの散らばった葉のように。
乾いた葉脈が脆く砕け散る様を視界に留めたくなくて、廉はそっと踵を返した。

(もう、秋なんだ・・・・・・)

この場所に来てから季節は一巡りしようとしていた。


◇◆


窓から見える山の端が、じりじりと深い色に変わってゆく。僅かに残った夕暮れの残滓も、重苦しい朱色が夜に混じるのを厭うているように見えた。
そろそろ窓を閉めましょうか、と掛けられた声に廉はゆるくかぶりを振った。
それでも、数分も経たないうちに、身体を冷やしてしまうから。と重い木戸が下ろされる。こちらの意を汲むつもりが無いのならば、最初から黙って閉めてしまえばいいのに。無言で俯く廉の気持ちなど知らずに女官は緩やかな裾を引きながら一礼をすると部屋を出て行った。
途端に、しん、とした雰囲気に部屋が覆われる。

「・・・・・・ぁ」

黒ずんだ木戸に白い指が触れる。軽く押した程度ではびくともしないそれは、鉄で出来た格子よりも息を詰まらせた。しかし、ざらりとした感触で柔らかい指先が傷つくのも恐れずに何度か押していると、僅かに浮いた隙間から冷たい秋の風が吹き込んできた。
冷たい、けれど押し込められている息苦しさよりは心地よい。前髪を嬲る冷気に目を細めていると、夜気を震わせる鐘の音が聞こえた。
王が宮殿を渡る。
その先触れの報せだ。

「・・・・・・」

廉は格子から、そっと手を外した。整えるほどの支度は無いが、見咎められるわけにもいかない。彼は廉の主なのだ。
伏せた睫毛の下で、榛色の眸が微かに震えていた。





◇◆



「廉、どうした?随分冷えているみたいだが」

固く大きな手に頬を包まれて、逃がそうとした視線を無理に合わせられる。真っ直ぐに向けられる黒い瞳は廉には力強すぎる。息苦しさにも似た感覚は容赦なく廉を苛んだ。
廉。
繰り返し囁かれる名前。硬い指がゆっくりと滑らかな頬を辿り、柔らかな唇の輪郭をなぞった。

「後で、何か身体を温める物を届けさせよう」
「・・・・・・っ」

主の言葉に首を横に振りかけて、廉は止めた。
今までだって、こういう時に廉の希望が聞き届けられた試しは無い。せいぜい十送られるはずの物が、九か八に減るくらいだ。手を触れることもなく積み上げられてゆくだけの品物は、もうどれだけになったかも覚えていない。その度に女官達から向けられる、嫉妬と嘲りの混じった視線にも慣れてしまった。
断るだけ、無駄だから。
諦めたように頷くと、隆也の唇から細い息が漏れた。
いつまでも頑なな愛人に呆れたのか。それを安堵の溜め息と受け取る程、廉は楽観的な性格をしていない。俯いたままの細い項に、批難の視線が突き刺さるような気さえする。

(――媚びるように微笑んで、甘えてみせれば良い。)

贈られた玉に喜び、高価な物をねだり、そうすれば隆也は廉の願いを残らず叶えてくれるだろう。だが、そうと割り切れるほど、廉は柔軟な思考を持ってはいなかった。
美貌も才も持ち合わせていないくせに、己を偽る事も出来ない。
その為、どんなに愚かだと嘲笑われても、こうやって下を向く以外の術を廉は知らない。知りたくもない。
じりじりと神経が焼かれるような時だけが過ぎてゆく。

(こんな自分になど、早く愛想をつかして帰ってくれればいいのに。)

俯いたままでいると、投げやりな考えばかりが浮かんできた。だが、愛人にあるまじき事を半ば本気で思いながら顔を上げた廉の前で、隆也は静かに口を開いた。


「最近、女官達から宮で流行っていると聞いてきたからな」



言い終わる前に、隆也の袂から鮮やかな色が翻った。





◇◆





赤や黄色。緋に橙。落ちてゆく陽をそのまま写しとったような色は、隆也が身に付けた漆黒の絹の上で一際美しく映える。

「ぁ・・・・・・」

廉の唇から、声にならない音が零れた。
昼間見かけた時は、少しも気をひかれなかったのに、今はただ――本当に美しいと思えたのだ。

「廉?」

舞い落ちる葉は微かな衣擦れにも似た音をたてながら、廉の衣の裾も彩っていく。華やかに、そして優しく。それはどんなに細かく刺繍された文様よりも遙かに艶やかだった。
冷たい石造りの宮殿の中で、陽の温もりを吸い取った葉は、命を持たなくても

(あたたかい、気がする――)

それは、不思議な感情だった。
細い指が伸ばされて、紅い一枚を拾い上げる。廉の淡色の瞳に秋を知らせる色が映っていた。

「・・・・・・子供だましみたいなものだが、たまにはこんな趣向も悪くないだろ」


視線を逸らして呟く隆也の横顔には、燈火の淡い光が揺れている。
僅かに口を尖らせたその表情が、――何故か、心細げな少年のように見えて――廉は、しばらく目を離す事が出来なかった。