【傾城傾国】




パラレル・どこかの時代、どこかの国で。





複雑な形に切り抜かれた欄間が床に奇妙な陰を落としている。
精巧に植物の様子を模した細工の形を黒々と、月のしろい光が浮き立たせていた。

「お前は、相変わらず・・・・・・」

呟く声が廉の頬を撫でた。
乾いて堅く、力強い指先が子猫をかまうような仕草で蜂蜜色の髪の先をなぶる。廉は咄嗟に首をすくめて。それからすぐ、己の失態に気がついて怯えたように両の目蓋を伏せた。

「・・・・・・まだ、怖いか?」

問いかけてくる声は優しい。怖くない、そう答えるつもりなのに、喉がひりついたようで言葉が出ないのがもどかしかった。仕方なくゆるく首を振るだけに止めると、隆也は口の端を軽く歪める独特の笑いを見せた。

「そうか・・・・・・怖くないのなら、いい」

抱き寄せる腕に体を任せると、息が詰まりそうな力で閉じこめられる。拍子に髪を飾っていた玉が廉に代わって硬質の悲鳴を上げる。春の草原を思わせるような鮮やかな緑。お前に似合うに違いないから、と手渡されたのは、ここに来てまだ間もない頃の事だった。
そして確かに、この緑は、廉の故郷の色を思い起こさせた。

「廉・・・・・・」

嗅ぎ慣れた匂いのする胸元に額を擦りつけると、柔らかい衣擦れの音がした。萌え始めた若草よりも更に柔らかい。こんな高価な布に触れる事など想像もした事も無かったが、それを当たり前のように身につける生活は、取り立てた感動も生まなかった。

無言のまま、廉の着物の襟がはだけられていく。寒くは無い。肌の上を這い回る指の熱さが身の内に火を灯す。重ねられる唇が、目の眩むような熱を生む。息をのみ。固く目を閉じると、目蓋の裏で景色が目まぐるしく変化する。

「あ・・・・・・っ」

噛み殺せなかった悲鳴に、廉に埋め込まれたモノが震えるのが分かった。分かるくらい近くにいるのが信じられない。伸ばした手は一瞬空をきった後、力を失って絹布の上にだらりと垂れた。
それでも、このまま食い尽くされてしまうのではないか、と錯覚するくらい廉の躯を貪る勢いは止まらない。
どれくらいの間、そうやって揺さぶられていたのか。白い肌に無数の紅い痕が散って、汗で色が変わった髪が額に張り付いた頃。彼は漸く、廉の身体の上から身を起こした。
続いて背中を支えられるようにして廉が敷布に座ると、銀の縁まで氷のように冷えた杯が唇に押し当てられた。
するりと流れ込む甘い液体に、喉がこくんと鳴った。


「お前は、笑わないな」


杯を片手に呟く声が聞こえる。見慣れた笑みに漂うものが『寂しさ』だと理解出来てしまった時から、廉は本当に笑えなくなった。


「お前が笑うというのなら、望む物を何だって与えてやれるのに」


ああ、と薄い胸の奥で深くため息をつきながら廉は俯いた。出ない声が、伝わらない意志が、こんなにも苦しいだなんて知らなければ良かった。
嘆くばかりの時間が、いつの間にか隆也を想う時にすり替えられていたなんて、気づかなければ良かった、


「お前が笑うためなら、なんだってしてやるよ」


見たこともないような宝玉で、艶やかに咲きこぼれる珍しい花々で部屋を埋めてやる。望むのなら、この窓の向こうの景色の全てさえも、捧げよう。数多の血を流しても、それを廉が望むならば。

情熱的な言葉に頷けば、隆也は笑ってくれるのだろうか――でも、廉の細い首は本人の迷いを見通しているかのように、頑なに動こうとしなかった。




何もいらない。何もしなくていい。ただ、傍にいて「廉」と、隆也が自分で付けた名前を呼んでくれれば。そして、もし、本当に叶うのならば――


『隆也が笑ってくれればいいのに――』




ふいに浮かんだ些細な願いと、それすら伝えられない寂しさに、涙が一粒こぼれ落ちた。