【I love blue spring!!】






窓の外から、パラパラと拍手の音がする。流れていた音楽が、少し物悲しげな曲調に変わっていた。


「あ・・・あ・・・」

 安心したのか、力が抜けたのか、三橋の身体が俺にもたれ掛かってくる。倒れないように支えながら腰を引くと、ずるりとした感触と共に俺の抜けた箇所から白濁した液体が滴り落ちた。

「わりぃ・・・中で出しちまった」
「う・・・うん」

窓辺に寄りかかるように三橋の姿勢を変えさせて、俺は何か拭く物がないか辺りを探す。

「ちっ・・・鞄持ってくれば良かったな・・・」

約束の時間に間に合わせるために飛び出してきたから、俺の荷物は部室に放り投げたままだ。最後の手段は、教室を出てトイレ辺りに紙を取りに行く事なんだけど、うっかり誰かを鉢合わせでもしたら洒落になんねぇしな・・・。

「お、オレ・・・かばん持ってきて、る」
「マジで!?」

三橋にしたら快挙というか、ナイバッチっていうか、三橋の鞄は俺達からそう離れていない所に転がっている。俺は大急ぎで鞄を開けると、中からタオルを取り出した。

「・・・それにしても、お前鞄の中もぐっちゃぐちゃだな・・・」
「ウヒッ!」

三橋の顔が「しまった」とばかりに青褪める。まぁ今回は大目に見てやろう。と俺はタオルで三橋の濡れた場所を拭き始めた。

「あ、阿部くんっ!」
「なんだよ」
「オレ、じ、自分で拭ける、から・・・」

あわあわと三橋が俺の手を押さえようとするのを無視して、俺は更に手を動かした。コイツに任せてたら、適当にそこら辺擦ってお終いという事になりかねないからな。本当だったら中に残ったヤツも掻き出さないと、とまだ濡れそぼった箇所に俺が指を押し当てると、三橋はこっちが驚くほどの勢いで飛び上がった。

「やっ!そ、そこは、いいよ!オレ、自分でする、から・・・」
「本当かよ・・・」
「ほ、本当、本当にやる!やる、よ!」

その場所をオレの指からガードするように、しっかりと自分の手で隠して三橋は後ずさる。

「ちっ・・・」

こうなったら何が何でも、こっちの言う事なんて聞かないだろうな。残念な気持ちが無かったといえば嘘になるけど、ここは俺が折れる事にしてタオルを放り投げた。

「ちゃんと拭いとけよ。それから家に帰ったら風呂できっちり流しとけ」
「う、うんっ!」
「それから、その格好もどうすっか・・・」

俺はともかく三橋の格好は、もう散々だった。浴衣は殆ど着てないも同然だし、変な皺とか不自然な染みとかまで出来てるし・・・。やっぱり部室までひとっ走りするか、と考えていると、三橋はおもむろに自分の鞄の中を漁り始めた。

「着替え、も持ってきた、んだ」
「はぁ・・・。そりゃまた準備のいいこって・・・」

俺の言葉に、フヒッと三橋の顔が笑う。褒められたと思ったんだろうな、でもあの鞄の中に押し込まれてたからシャツがすごい皺になってるんだけど。本当にそれ着て帰るのかよ・・・。呆れる俺の前で、三橋はもそもそと着替え終わると、汚れてくしゃくしゃになった浴衣を丁寧に畳み始めた。

「阿部くんは・・・、どうするの?」
「俺は部室に行かねぇと。着替えとか全部置きっぱなしだしな」
「じゃあ、もう少し・・・」

そのままの格好でいられるんだね。と言って、三橋は嬉しそうにふわりと笑う。不意打ちみたいなその笑顔に、俺は不覚にも自分の顔が一気に熱を持つのが判った。

「お・ま・え・はー!」
「え、い、痛い、痛いっ!」
「なんで、そう、いちいち余分な事ばかり言うんだよ!」

顔だけじゃない、せっかく収まりかけた腰の辺りが、ずきずきと熱をもって疼き出す。

―――くそっ!明日。練習。練習。瞑想。練習。手絞り夏蜜柑。シガポ!

 三橋のこめかみに拳を当てながら、俺は呪文の様に呟いた。ちなみに最後の二つは、口にしたら萎えるかと思って言ってみた。(本当にちょっと効果あった。)

「ほら、着替えたんだからさっさと行くぞ」
「う、うん・・・」

起ち上がった俺の後ろを、こめかみをさすりながら三橋もついてくる。歩きながらふと振り返ると、三橋も何故か振り返って窓の方を見ていた。

「後夜祭・・・終わっちゃった、ね」
「あ、ああ。悪かったな、楽しみにしてたのに」

カーテンの隙間から差し込んでいた灯りもすでに消えて、あんなに賑やかだった校庭も、今は静まりかえっている。俯いた俺の足下、リノリウムの廊下の表面で、非常灯の黄緑色の光が弾けた。祭りの後の静けさが、微かに残っていた罪悪感を刺激して、俺の口の中に苦い物が広がっていく。


「うわっ!」


どん、と軽くない衝撃とともに温かい感触が俺の背中に広がった。

「三橋・・・?」
「お、オレ、楽しかったよ、後夜祭」

背中にへばり付くようにして三橋が呟く。

「後夜祭って、お前行ってないじゃん」

しかも俺の所為で殆ど見れなかったし。後悔するくらいなら、やっぱり行かせてやれば良かった、とか、でもやっぱり三橋だって俺と一緒にいたいって言ったじゃないか、とか。色々考えたあげく、結局、三橋に顔を見られていないこの体勢は、かなりラッキーだったと思った。なんせそれくらい、俺は格好悪い顔をしていたと思うから。

「後夜祭した、よ!」
「だから・・・、お前何言って・・・」

 本当に何言ってるんだよ。フォローなんかしなくたっていいのに。ますます格好悪くなりそうで落ち込む一方の俺。でも、三橋は必死に言葉を綴った。

「お、オレと、阿部くんの二人で後夜祭・・・出来た・・・」
「へ?」

なんだよ、そのクサイ台詞。なぁ、それ、どっちかっていうと俺が言わなきゃ駄目なんじゃないのか?背中に感じる体温が明らかに熱い。この言葉口にするのどんなに恥ずかしかったんだろう。三橋の性格を考えると、俺には容易に想像がついた。


「三橋・・・」
「う、うう。阿部くん・・・」
「ごめん、三橋。でも俺も・・・」


―――本当に良かった、と思うよ。


やっと伝えられた言葉に、背中越しではにかむ三橋の顔が見れなかったのは残念だったけど、親にも見せられないくらいに赤く染まった俺の顔は、見られなくて助かった。

それから俺達は、暗い校舎の中を二人で手を繋いで帰った。
汗ばんだ手の感触がひどく愛しかった。















□□□ おまけ(判っちゃったら負けなんですよ)



『おい、こら、待て、三橋!』
『ひっ!』
『お前、今何隠したんだ、見せてみろ!』
『な、何も、かかか隠してない、よっ!』
『じゃあ、その尻どけろ!下に何か挟んだだろ!』
『や、やだ、何も挟んでないよ!』



騒がしい声に誘われるように部室の扉を開けると、三橋と阿部が何か言い争いをしている。いつもいつも、此奴らよく飽きないな、と思いつつ、俺もいつもの習慣で二人の仲裁に入ろうとした。

「あ、花井。やめとけよ馬鹿みっぞ」
「泉?」

9組きってのクールガイ・泉が詰まらなさそうな顔をこっちに向けてくる。

「そう言われても、なぁ。あいつ等本当にどうしたんだよ?」
「もうちょっと見てりゃ判るよ」

もうちょっと、見てれば判る?


『あ、阿部くん、だ、駄目、それ返してっ!』
『何が返して、だ。こんなもん、誰からもらったんだよ!』
『も、もらってない!』
『じゃあ、どうしたんだっていうんだよ!』
『か、買った、よ!』
『はぁ?』


どうやら三橋から目的の物を取り上げたらしい阿部だったが、三橋の「買った」という言葉にみるみる赤くなった。怒ってんのか、と思ったけど、なんだか違う。阿部のヤツ照れてるんだと判った瞬間、俺は泉の言葉に本気で感謝したくなった。

「あー、マジで仲裁入らなくて良かったよ・・・」
「だろ」
「ところで、あの写真。誰が三橋に売ったんだよ?」
「そんなのあいつしかいないだろ」

そんな後先考えない事をするヤツは、確かにうちの部には一人しかいない。しかもあいつも阿部と同じクラスだしな。

「阿部もあそこまで嫌がる事ないのにな・・・」

三橋だって阿部の事が好きだからこそ、あの写真を買ったんだろうに。取り上げられたら結構不憫な気もするんだけど。

「阿部のやつだって、やってる事三橋とたいして変わんないぜ」

おっと、流石の泉様には、まだまだ隠し球があったらしい。なんだよ?と小声で尋ねると、泉がそっと耳打ちしてくれた。


「阿部のやつ、田島に頼んで三橋の写真買ったんだよ」
「あいつ・・・」
「なんだかんだで似たもの夫婦なんだよな、あいつら」
「泉・・・その言い方はやめてくれ・・・」

 

執事の仮装をした阿部の写真を、本人に取り上げられた三橋はしばらく泣きまくっていたが、結局後になって、田島から自分の猫娘の写真を阿部が買ったと聞いて大激怒したらしい。
その後の騒動を阿部がどんな風に収めたかなんて、俺は知りたくもないけれど、三橋の生徒手帳に何かが大事そうに挟まれているのは知っている。でも、思わず、阿部も同じように挟んでるんだろうな、と思いついてしまって、俺は些かうんざりした。


end.